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『インフォグラフィックとテキスト』ファン・ウィジョボルドー移籍で思い出したボクとグルキュフとの出会い。


 MLS行きも噂されたファン・ウィジョですが、フランスのボルドーへ移籍が決定。代表でもCFのファーストチョイスですし、アジア大会でもJリーグでも決定力は証明済みだったので、納得の移籍です。

 ガンバ大阪も宇佐美が帰ってきて、食野と中村敬斗がいれば大丈夫でしょう。フランスで活躍するウィジョ見たいね。

それにしてもボルドーという移籍先個人的には思い出すものがある。

ボルドーといえばボクにとっては彼なんです。

甘いマスク、司令塔、若きプリンスはボクの憧れだった。だが想像以上に・・・

 ヨアン・グルキュフはロマンたっぷりです。美学、華麗さ。少女漫画の主人公のような顔立ち、宝塚とかにいそう。ベルサイユのばらだ。本当にミランで成功していれば、日本でもファンは増えたと思う。だが、想像以上に問題視されたのが”素行” 代表ではリベリーと喧嘩し、ベテラン選手からは見放された。ミランではマルディーニにボロクソに言われた。どうやらイタリア語を学ぼうとしなかったらしい。もちろんそれ以外もあるだろう。

ボルドーでの活躍

 今から10年前、フランスリーグ1ではリヨンが8連覇という今考えてみれば、とんでもない記録を残していた時代に、グルキュフが所属していたボルドーは、リヨン王朝に歯止めをかけた。攻撃の中心だったグルキュフは、37試合で12ゴール11アシストと文字通りの大活躍。のちにアーセナルに旅立ったシャマフと共に、攻撃を牽引した。イタリアで不遇の時期を過ごしていたが、母国に帰ると才能が溢れ出るように、のびのびとプレーしていた。

当時のメンバー。アルー・ディアラはウェストハムへ。シャマフはアーセナルへ。監督はブラン。左SBのトレムリナス懐かしいなあ。画像はbyムキエレスタ

 おそらく、小学生のころ、正直どの試合を見てとかはわからないけど、ボクはグルキュフがとてつもなく印象に残っており、お気に入りの選手だった。クリスマスプレゼントはサンタさんにボルドーのグルキュフのユニフォームも頼んだし(実際に貰った)小学校の友達には「おれのことグルキュフと呼んでくれ」と言っていた。今考えれば意味がわからない。友達はサッカーすらやっていないので、グルキュフは誰なのかわからない。振り返ると面白い。

小学生のころの憧れは熱が一層強い

 もともとプレーヤーだったので、色々な選手を参考にしてきた。小3まではロナウジーニョ。これは当時のポジションが左WGだったから。そしてグルキュフ。これもやはりトップ下をやっていたから。そして小6のときはピルロ。このときはアンカーをやっていたから。特別足も速くない、背も大きくなかったボクには足元の技術で勝負するしかなかった。

 だが、グルキュフに関しては、完全にビジュアル・雰囲気が強い気がする。女の子がモデルさんのメイクや服装を真似するように、ボクもグルキュフのような雰囲気を目指していた。当時はピッチ外のことは詳しくわからなかったので、試合中の雰囲気や顔立ちで完全に憧れていた。個人的には珍しく顔ファンだったかもしれない。

今でもユニフォームは寝巻きとして着ているときもある。

両親。どこから探してきたのだろう。今なら聞いてみても良いかな。


 

就活生です。サッカーばかりでしかもコアなところを攻めています。少しでも驚き、笑いがあった方はサポートお願いします。