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謎がないリアル潜入とリアル脱出のお話

謎無しアドベントカレンダーは去年に引き続き、旅行関連のお話


今から12年前、新卒で入った会社を辞めて人生初のバックパック旅行をしていました。

ことの始まりは今から16年前の大学四年の春、当時住んでいた学生寮の後輩Fとの雑談から

F「むくさん、ついに就職ですねー。僕は今年転学するんであと4年は学生謳歌しますわー」

む「そうなー。まぁでも手に職つけたら3年くらいでやめるんじゃね?たぶん」

F「もし本当に辞めたら一緒にちょっと旅行しませんか?」


このFは当時東大生でバリバリのバックパッカー、いつも旅行の楽しい話を聞かせてもらっていました。

む「おっけー、辞めるの決めたら連絡するわ。」

F「待ってますねー」


そんなこんなで就職して丸3年を経過したころ、予定通り上司に退職の話をし、Fに連絡をとりました。

む「もしもし?今年予定通り仕事辞めるけん、旅行、行くなら行こーや」

F「お、まじっすか!ちょうど夏休みにアジア行こうと思ってたのですがアジアでいいですか?」

む「行ったことねえからええよ。ほな、詳細を決めようか」

F「りょーかいっす!」


軽いノリで香港から旅行を開始することに決め、帰国日も決めないまま旅に出ました。当時、バックパッカーが初だった自分にとってはこの時点でワクワクしかありませんでした。


香港の空港でFと合流し、香港ーマカオー中国南部を旅行した後、自分はベトナムへ、Fは彼女と合流するために成都へ向かいました。

9日間後に昆明のユースホステルで合流しよう。出来なかったらあきらめてそれぞれ旅行しよう。

こんな会話をしていた気がします。

当時の海外旅行は今のようにスマホもオンライン旅行代理店も無いのでだいたい、下記の手順で旅行を続けていました。

1.目的地を決める。

2.ネットカフェで情報収集、宿のノートで情報収集、旅行者同士で情報収集

3.安宿街に到着してから何軒か宿を除いて宿泊先を決める(値段交渉もする)


そんな感じで旅行を続けた後、無事に昆明で合流してからは、リージャン、大理などを経てシャングリラに到着しました。


ここからが本編である「リアル潜入」の始まりです。

チベットは中国内のチベット自治区であるため、

日本人がチベットを旅行する場合には許可証が必要になります。

許可証は自体の値段は高くないのですが、許可証取得のためには中国の旅行会社経由で滞在の間、ガイドを雇わなければならないため、けっこうなお金がかかるのです。

中国はガイドという名の監視をつけることで、チベットへの情報統制などを徹底しているということです。

ただし、我々日本人は中国人に似ています。

そしてここは中国、多種多様な人種が存在し、方言も多様です。

もしも、もしも、中国人しか使えない公共交通手段でチベットに入ることができるのであれば、許可証など不要というわけです。

ここ、シャングリラからはそんな中国人専用のチベット行きのバスが出ています。(2007年当時)

第1ステップ:バスのチケットを買おう!

バスのチケットは週に2日間だけ売られるということで発売日に練習した中国語で窓口に行きました。

「我要行、拉薩」(訳:ラサに行きたい)

これだけでゲットです。

完璧な中国語だったのか、当時、単純にザルだったのかは今でもわかりません。

第2ステップ:中国人になりきろう

当時、中国人に聞いたのですが、日本人は靴がキレイだからわかるとのことでした。確かに中国の田舎は貧困層がメインであるため、キレイな靴を履いているひとなどほぼいませんでした。

とりあえず、土でドロドロにします。

次に、いざという時に顔を隠すための中国語の新聞を買います。

もう完璧ですね。

第3ステップ:バスに乗り、無事にチベットにたどり着こう。

このバス、シャングリラから拉薩までの1200キロほどを移動するのですが、山道を進むため、推定3泊4日ほどかかります。

後は寝台バスで検問を潜り抜けながら無事にたどり着けばゴールです。

そんなこんなで検問が入ってきたら顔に新聞を載せて寝たふりをし、絶景に飽きてしまった4日目の夜、無事にチベットに辿り着きました。

偶然にも同じバスに乗り合わせて他4人の日本人とすっかり仲良くなり、

1週間ほど拉薩で遊んだ後、仲良くなった日本人と一緒にネパールに向けて旅立つことになりました。

「リアル脱出」の始まりです。

拉薩からネパールに向かう公共交通手段が見つからなかったため、

旅行会社でランクルをチャーターすることにしましたが、

約束の時間がきてもチャーターしたランクルが来なかったため、チベット第二の都市、シガツェまで、4時間ほどかけてバスで移動。

シガツェで改めてパジェロをチャーターしてネパールに向かいました。

その後、車で揺られること数時間、検問所に辿り着きます。

もちろん、許可証を持っている人はだれもいません。

検問所ではパスポートチェックがあり、パスポートを渡した後に、中国人の警察官が何か言いました。

「許可証?」みたいに言っていたんだと全員が察します。

全員「何?それ?わからない。」

「中国語わからない」って繰り返します。

すると、4人いた警官が1人を残して部屋の中に下がっていき、残った一人の警官がめんどくさそうな顔で書類に何か中国人風の名前を書き始めました。

5人分の中国人の名前を書いた後、警官が言いました。

「行け。さっさと行け。」(想像です)

そんな感じで無事に検問を通り抜け、

何時間でつくかわからないままパジェロに乗り続け、夜になり、寒いのを我慢して車中泊をしていました。

突然、運転手が自分用の毛布だけ取り出して寝始めた時には。日本人全員から殺意を感じ取りました。

この時、夜中にあと3歩進んでおしっこしていたら崖の下に落ちていたことに翌朝きづいたことも今となってはいい思い出です。


翌朝、雨で川になった道を歩いて国境を越え、国境でさらに出会った日本人5人と合計10人でバスを一台チャーターして無事にネパールの首都カトマンズに到着しました。

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無事にリアル脱出成功です。


本当はもっと細かい小なぞ的なイベントもたくさんあったのですが、全部書くとめちゃくちゃ長くなるのでもし興味がある人がいたら飲んだ時にでも聞いてください。


若いころに楽しかった、少しだけ冒険をした時の思い出話でした。


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