インドの神さまについて

インドの神さまは沢山いると言われていて、ヴェーダーンタを勉強しているとすべては唯一のIsvaraと教えられているので混乱する人が沢山います。また、世の中には混乱を招く書き物や教えが蔓延しているので、ヴェーダーンタを勉強する人の為に、インドの神さまについてザクっと説明します。
 
まず最初に神さま=Isvaraの2つの概念を説明します。
①    Saguna Isvara 姿かたちのある神さま  
②    Nirguna Isvara 姿かたちという限りを持たない、すべての本質=Brahma
 
創造神、維持神、破壊神で知られるブランマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神は①の類です。ちなみにブランマー神はすべての本質であるBrahmaと混同してしまうので、通常ブランマー”ジ”と敬称を付けます。また、日本語でブラ”フ”マと表記されますが、hはフとは発音されないので、間違いです。
 
ブランマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神のみならず、その他すべての神さま(Saguna Isvaraまたはデーヴァターと呼ばれる)はこの宇宙を織り成すすべての法則(創造、維持、破壊を含む)の側面の象徴です。ですので、ブランマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神はそれぞれ創造、維持、破壊という法則の側面の象徴です。女神さまはシャクティ(すべてを現す、可能にする能力)の象徴とされることが多いです。ラクシュミー=富を創造するシャクティ サラスヴァティー=知るシャクティなど。
 
ヴェーダーンタは「私たちが体験するすべての現象はIsvaraです」と教えます。創造、維持、破壊に優劣がないのと同じように、ブランマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神に優劣はありません。しかし、ヤクルトファンや阪神ファンがいるように、人には好みがあり、ヴィシュヌよりシヴァの方が好きな人や、シヴァよりヴィシュヌが好きな人もいます。その人たちはもちろん、自分の好きな神さまを讃え、その神さまは他の神さまより優れていると讃えます。その人たちは、それはそれでいいのです。その神さまを讃えることによって沢山の恩恵を受け、すべてとの調和を保つダルマに沿った生活をしていくうちに、「さらに知らなくてはいけない事があるのかも」、と気づくことが出来るからです。ヴェーダーンタはまさにそれに気づいた人たちに、姿かたちや自分の好みを超えたすべての本質を教えてくれます。
 
だからと言って、ヴェーダーンタを勉強する上でSagna Isvaraを無視するわけではありません。私たちはこの体がある限り、また「私はこの体」という間違えがある限り、この世界でIsvaraの現れである法則に身をおいて、さまざまの事を体験していかなくてはいけません。その上で、なるべくすべてが自分にとって好ましい状況でありますように、と祈るのは自然なことです。祈ることも行いなので、必ず結果は自分に返ってきます。その結果も法則によって自分に返ってきます。なので、その法則の側面である神さまにお祈りをします。特にヴェーダーンタを勉強するには、好ましい状況がきちん整っていることが必要なので、ヴェーダーンタを勉強する人こそ熱心にお祈りをすることが必要です。きちんと勉強できる環境が整って、健康で楽しく勉強ができますように。そして、知識がきちんと得られるように成長が出来ますように。と。祈るだけではなく、他の恩恵を受けられる行いもどんどんするべきです。
 
話が逸れましたが、聖典はブランマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神を創造、維持、破壊の象徴とすることで、「すべては永遠ではない」と教えているわけでは決してありません。「形あるものには始まりと終わりがある」と教え、その始まりと終わりにIsvaraを見て、客観的にすべてを受け止め、自由意思を最大限に生かし、すべての法則との調和を乱さない生き方を勧めています。なぜなら、その生き方が私たちにマインドの平静を与えてくれるからです。そして、その落ち着いたマインドで「その姿かたちのあるものの本質=Atma/Brahmaを知りなさい。なぜならそれがすべての本質で永遠だからです」そして「それのすべての本質があなたの本質なのです」と教えてくれます。

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