(進捗あります)有職故実云々の話

 次章は元々最初の章にするつもりで書いていたものを書き直している。2月15日を目標に改稿を進めている。それまで週一か隔週ぐらいで進捗を書いていきたい。

 今日は「礫川」で最終的には脚注にでも書きたいと思っている、

拝殿に向かって左の吽形は角を持っている「狛犬」、右の阿形は「獅子」という姿であり、これは平安時代の有職故実以来の形に添うている。

 についてのもう少し具体的なことを書いておく。

 ここで私が頭に思い浮かべているのは『類聚雑要抄』という書物。

平安時代後期の摂関家寝殿の室礼(しつらえ)をその実務者が記したもので、寝殿造の実像を知る上で欠かせない史料である。編者は不明だが、その記述内容から摂関家家司の藤原親隆が久安2年(1146年)頃に作成したと思われている。

 上記は Wikipedia の『類聚雑要抄』の記載からの抜粋。実物は国立国会図書館デジタルコレクションを始めとして画像での参照が可能となっている。四巻あるのだが、その四巻目の中に下記のような記述がある。

后宮御䉼ニ用濱床時者張帷/他事如前 但立獅子形時者張前南方帷末之表ニ戸之左右之際ニ相向夫立之左獅子 作色黄口開 右胡摩犬 作色白不開口在角

 本当は現代語訳に当たりたいところだがまだ見つけられておらず、自力でなんとか訳してみるとこんな感じかと思う。「后宮のために用いる濱床(寝所)は幕を張る。他は前述と同じである。ただし幕の前に獅子の形をした像を立てる。南側で、幕の端、戸の左右に向かい合って立てる。寝所から見て左が獅子で、黄色に作り口を開けている。右が狛犬で白く作り口は開けず角がある」。

 少し時代があとになるが鎌倉時代に順徳天皇がまとめた有職故実の解説書『禁秘抄』にも

ミヤハジメノ作法獅子狛犬大床子ナドモ参リテ御帳ノ前ニシツライス

 とある。順徳天皇は父親である後鳥羽上皇による院政のもと政務に関わらなかったかわりに有職故実の研究に力を注いでいたそうで『類聚雑要抄』も読んでいたのではないかと思われる。当時の朝廷は武士勢力の勃興に政治的に対抗しようとしていた時期であり、この辺り朱熹が『資治通鑑綱目』において金の脅威を前に宋の正当性を論じているところをなんとなく連想させる。

 閑話休題。今となっては有職故実通りの狛犬が作られることはなくなっているようだが、江戸時代まではきちんと受け継がれていたというところに面白さを感じている。鈴木常三郎が獅子狛犬の典拠を知っていたかどうかは分からないけれど。


『関東子連れ狛犬の系譜』シリーズは少しづつ、今書いているものがどこかに響けばと願いつつ書いています。