「すみません、僕は日系ブラジル人ではなくて、リアルな日本人なんです。」
僕は「言語」と「シェア」で人生を切り開いてきた。(4)
僕が5つ目の言語ポルトガル語を勉強したのは、
2018年冬、27歳の時だった。
この時の環境はもう僕の人生の中でも良い意味で特に破茶滅茶な時期だった。
2017年春から僕はクルーズクルーとして働いていたが、
この時、僕は派遣された場所は南米で、
船に乗っているお客様全員と、ほとんどのクルーはブラジル人だった。
最初、東京からヨーロッパに飛行機で飛ばされた時はお客様もまだ多国籍で、
英語、イタリア語、スペイン語を話しながら仕事ができた。
しかし、ヨーロッパを後にして、スペイン、モロッコ、大西洋を通って、
ブラジルに着くまでに、船内の国籍がブラジル人に変わっていく事がわかった。
ほとんど文化的にも何も知らない場所で、
仕事の関係でオプショナルツアーに添乗をしなければならず、
各オプショナルツアーのチケットを説明して売る時にも、
ある程度のレベルでポルトガル語を話すことが求められた。
正直、ポルトガル語も語源はラテン語なのだが、
アクセントがとても特徴的なので、
イタリア語の知識からスペイン語を学んだ時ほど簡単ではなかった。
一緒にオプショナルツアーを行うガイドは
もちろんポルトガル語で各観光名所を案内する。
それは言い方を変えると、
ポルトガル語で案内される集合時間場所を含めた詳細な説明が理解できなければ、
(お客様ではなくて)「僕」が置いていかれることになる。
全く文化が通じない場所で置いてかれれば、船への帰り方もわからず、
タクシーでもボッタクリにあい、港に遅れてつき、船に置いてかれる。
考えれば考えるほど、恐ろしかった。
2−3週間で、知らない場所を勉強して、知らない言語でそれを説明する。
円滑なコミュニケーションが取れなければ、お客様から信用は得られない。
もう寝ている時間はなかった。
ブラジル人の同僚にききながら、チケットの販売に使うだろう会話を全部、
ポルトガル語にして、会話集をつくった。
ポルトガル語で書かれたオプショナルツアーのカタログを
何回も何回も音読をしながら読み込んだ。
デスクで販売をする時には、他の同僚のポルトガル語を横に立ちながら吸収した。
「あぁ、なるほど、それはそう表現するのね」と、
ポルトガル語の会話の流れをよく見ながら吸収した。
勢いを持ってブラジル人のお客様をアシストしてみたが、最初は、
「あなたではなくて、ポルトガル語を話せる人はいるかしら」と
断られるだけだった。
日本国内を旅行する場合、
僕もそのお客様と同じように、日本語を話せるクルーを探すだろう。
だって、クルーの言語教育をしたいのではなく、
ただ、バケーションを楽しみたくて、僕はそこにいるのだから。
お客様が言わんとしていることは、わかっていた。し、痛いほど、共感できた。
悔しい感情がバネになって、仕事前後での勉強を怠らず、
お客様に断られても機会を探して、ポルトガル語での接客をし続けた。
そして…ある日、お客様の反応が変わったのだ。
「あなた、ポルトガル語上手ね。」お客様が笑顔で言った。
「…実は、ポルトガル語、今回のこのクルーズで勉強したんです。
それまでは、これっぽっちも話せなかったんです。
お客様と会話がただただしたくて、勉強を続けました。」
驚いた後、お客様は続けた。
「私は、ついあなたがブラジルに1年くらい住んでいたのかと思ったわ。
おめでとう。私もオプショナルツアー楽しむわ。」
その後も、ブラジル在住の日系人が僕がポルトガル語で話すのを見て、
日系人だと勘違いするなど、ちょっと笑ってしまうようなことが増えていった。
日本に帰ってきてからは、ポルトガル語を使う機会が一気に減ってしまった。
あの時の言葉が出て通じて嬉しかった感情を忘れずに、
ゆっくりと今後も勉強を続けていきたい。
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