「やった方が良い事」は「やらない方が良い事」でもあると、なぜあなたは気づかないのか(1)
僕は、やめたのだ。
「やった方が良い事」に追われて生活する事を。
理由は単純で、
「やった方が良い事」に1日や人生という貴重な時間を
かなりもっていかれていると気が付いたから。
これをやった方が良い、あそこに行った方が良い。
今考える。
それって必要なのだろうか。
…
ここで質問をする。
「やりたい事」と「やった方が良い事」の違いはなんだろうか。
僕なりに、答えを述べると、
2つの違いは端的に、「自分自身の意志」があるかどうかだ。
…
例をあげて考えてみる。
ここに4歳児の女の子が目の前に2人いたとして、
あなたが才能を開花させると感じるのはAちゃんとBちゃんどちらだろうか。
Aちゃん:私はピアノを弾けるようになりたい。
Bちゃん:私はピアノを弾けるようになった方が良い。
私が応援するのであれば、Aちゃんを応援したい。
それはAちゃんがピアノをやりたい事には意志が感じられ
第3者から見ても明らかだからだ。
一方、Bちゃんの発言には意志が不在していないように見え、
「本当に、ピアノをやりたいの?他にやりたい事があるんじゃない」と
こちらが聞いてしまいそうだ。
正直、AちゃんとBちゃんの発言を対称にするために
「私は」を主語にしたが、
Bちゃんの表現には違和感さえ覚える。
「お母さんにピアノを弾けるようになった方が良いと言われたけど、
そう思いますか。」
と言ったように、Bちゃんではない、「第3者」を主語にした方が
しっくりくる。
…
以上で述べたように、
「やりたい事」と「やった方が良い事」は
音としては似ているが、
本人の意志が付随しているか、していないかという意味で、
最初から、スタンスが明らかに異なる。
…
「やった方が良い事」は「やらない方が良い事」でもあると、なぜあなたは気づかないのか(2) へ
続く。
#やりたい #人生 #生き方 #生活
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