生活保護の本当の意味

生活保護費が下がるらしい。生活保護を受けている知人から聞いた。
正直言えば「ふーん、で?」しか浮かばないのだが、イマイチこの制度の捉え方が誤っていると感じる。

まず第一に「税金」から捻出されることは知っていよう。そう、税金から出ているのだ。納税は「義務」なのだから、我々「一般生活者の義務」によって「生活保護受給者の権利」を守っているのだ。ここからまず「?」となるわけだが、そもそも誰か分からない人間の「権利」を守る、という行為は果たして正しいのだろうか。知人の生活保護受給者は「親のせい」「社会のせい」とよく口にするのだが、それは正しい認識とはどうしても思えない。

誰がなんと言おうが「自業自得」なわけで、最終的には「本人がどうするか」であるからして、私は知人の口癖がどうしても納得できないのだ。
気持ちはわかる、わかるのだがそこに迎合しようとは思えない。結局のところ「働かないでお金貰えてしまう」事が生活保護から抜け出せなくなる要因になってしまっている事は間違いない。

そこで二つ目に出てくるのが「生活保護の本当の行き先」である。

生活保護制度は、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としています。(厚生労働省ホームページより抜粋)

そう、「自立を助長する」ことが目的なのだ。砕けた言い方をすると
「一時的に生活助けてやっから、はよ自立せえよ」という事であろうか。

ここで言う「健康で文化的な最低限度の生活」という括りも中々曖昧なのだが、自立を助長する、という観点から言えば昨年放送された同タイトルのドラマで遠藤憲一氏が演じた阿久沢正男がわかりやすいのであろう。
彼は見事に自立を果たした、と思っている。アルバイトとは言え働き口を見つけ、職場の理解も得ながら少しずつ社会復帰している。素晴らしい姿だ。

私は昔から「働かざる者食うべからず」と言われ続けてきたせいか、「働かずして金を受け取る」というのがわからない。大学を中退し、フリーター生活をしていた自分でさえ、今普通に生活出来ている(当時実家暮らしだったのもあるが)のだから。「仕事ができない」んじゃなくて「何もやりたくない」が正しい言い訳なんじゃないか?やれよボケ。何もしねえでブツブツ言うならやってみろよ。それから考えろよ、と思う。

生活保護を無くせとは言わない。知人以外を叩くつもりもない。正しい認識をしてほしい。受給者にも一般生活者にも。本当に使われるべき人に正しく使ってほしい、それだけ。


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