第4回用not-02

「だれ」と答えますか?

「いつでもたくさんの本が読めて楽しそうだね!」と無邪気に言われて面食らった。その発想なかったな。確かにそれは楽しそうかもしれない。図書委員とかめんどくさい、と相当ふてくされてグチったわたしにその人はそう言ったことを今でも思い出す。

わたしにとっての「素敵な人」はいつも物事をとても楽しく明るい方向に捉える。その度に単純なわたしは、そうかも!と思ってなんだか気が楽になったことを覚えている。

スリッパでぱたぱたぱたと走ったかと思うと、ズザーっとすべり「学校の廊下ってさ、すごくすべっておもしろいよね」と満足げに満面の笑顔で振り返るから、楽しそうでいいな思ったことは数知れず。勤めていた会社の状況があまりよくなくて苦しい時に至っては、自分は後回しにして一緒に働く人たちをとにかく最優先するありさまでこっちが不安になったけれど、「やりくりすれば大丈夫!」と笑い飛ばし、この人が「大丈夫」と言うとなんだか大丈夫な気がするから不思議だった。

かと思えば「映画見てきちゃった、楽しかった〜」と当時1回で2作品見られる三茶の映画館にひとりで行ってわたしたちを置き去りにしたり、朝そろ〜と忍び足で帰ってきて「友達と飲みすぎちゃって、てへ」ということもしょっちゅう。自分の時間を存分に楽しんでいた。おかげで冷蔵庫にあるもので工夫して自炊ができないと生きていけないということをわたしは学んだ。

わたしたちのために一生懸命働いてくれているのだから、寂しいとかワガママは言ってはいけない。とぐっと言葉を飲み込む癖がついたわたしに急に、「交換日記しよう!」とノートをはいっと渡してきたりして、その場の空気を明るいものにしてしまう。

自分の感情に素直で、いつもなんでも楽しんでいて、人を大切にする。だからあの人の周りにはいつも人が自然と集まってくる。

空気をよむ、やってみたいことも恥ずかしくて言えない、感情を隠す癖のあるわたしには大好きで、できない自分と比較してはがゆくて、まぶしいから見たくない、でも好きだから気になる、感情を忙しくさせる人だった。

朝、玄関さきで倒れてからそのまま家に帰ってこなくなるまでの間の記憶がないのは、そのくらいわたしにとって影響の強い人だったからなんだと思う。それが高校3年生の終わり。

あれから大人になって、「素敵な人」について書くことになった。正直、今まで出会ってくれた人全部がわたしにとって「素敵な人」で、出会ってくれた人たちのおかげで今のわたしがあるし、楽しい今がある。

そして阿部さんのおかげで新しく出会えた同期も、面白くて素敵な人だらけだ。人見知りなわたしにもたくさんの言葉をくれるし、新しい視点を発見させてくれる。好きです!と素直に少しづつ言えるようになったのも、この「言葉の企画」のおかげだと本当に思っている。それとは別で、好きで観に行っている劇団献身の奥村さんもいつもたくさんの感情を教えてくれて、こんなにもこの人の書くものが好きで、創るものがおもしろいと思わせてくれる「素敵な人」。

だから書きたい人はたくさんいたけど、その人たちにはまだ自分の言葉で「素敵な人だと思っています」を伝えることができるから、もう伝えることができない大好きなお母さんに伝える気持ちを込めて、少しだけ思い出した時間をここに残します。教えてもらった「笑顔」を誰かに見せられるわたしになれているかな。なんでも楽しめる大人になれたかな。

あなたにとっての「素敵な人」はだれですか?

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