見出し画像

うつ病について、始まりを振り返る


 うつ病になって、3年・・?2020年の秋になったから、2023年の今から単純に3を引いて3年と考えていいのか?算数が一番難しい。思い立って、noteにうつ病になったきっかけを残してみようと思う。普段より長文になります。

 「もう無理」がかさんで本当にダメになってしまったのが2020年夏。何が無理だったかって、家で課題をこなすのが無理だった。コロナウイルスの影響で大学の授業が全てリモートになり、当時3年生で学びが専門的になるぞというタイミングのことだった。遠隔で講義を受け、課題を提出する。家の自室で始めから終わりまで、1人。
 何が辛いって、教授の皆さまもどう講義し、どう学生を評価するか考えあぐねていたことだ。誰も彼もが混乱し、混乱したまま突き進んでいた。母はあの時よく「みんなせーので、1年間お休みすればいいのにね。特に学校なんかは」とぼやいていた。

 毎日パソコンに向かい、悶々と学ぶ。全てがリアルタイムのzoom講義だったら、ただリモートであるというだけでそれまでと感覚が変わらなかっただろう。しかし文字資料のPDFが送られてきて、それを読むだけの教授もいればオンデマンドの映像を見るというスタイルの教授もいた(オンデマンドの映像が講義時間の90分を超越している教授多かったな。やめて)。
 高齢の教授が多く、zoomのリンクを貼ることすらままならない方もいた。不備に気がついた学生がメッセージを送るも、教授はそのメッセージの見かたすらわからない。これが課題に関する情報の不備だと学生たちの間でパニックが起こった。

 課題の量がおかしかった。対面の時はただ行って講義を受ければ出席になったのに。リモートになると毎週小レポートを提出する必要があった。加えて通常のレポート課題、遠隔グループワークをこなす。これが1日平均で4科目分。毎日課題は加算されていき、課題をこなす優先順位が毎時間変化していき混乱する。
 対面の時は大学の勉強とバイト、遊びが共存していたが、この時は寝食風呂以外の時間全て課題の消化に費やされていた。一日中家から出ずにパソコンに向かっているせいで、体中痛いのに眠れない。息抜きをしようにも毎日家にいないといけない。対面の時は帰りにマックやブックオフに寄ってほうと息をついていたのに。それも叶わない。

 深夜2時に課題を終えて、夜食を食べて眠りにつく。私は夜中に叫ぶことが増えていた。当時は一軒家に住んでいたものの、母は私の機嫌に敏感になり、叫ぶと飛んできて止められた。
 前期の終わり、テスト期間私は課題の〆切をスケジュール帳にメモするのをやめた。あまりに多くて把握しようとするだけで叫びそうだったからだ。結果的に過去最高の成績だった。少しも嬉しくなかった。そして、わずかな夏休みが終わる頃に私はうつ病になった。


 振り返ってみて、うつ病の引き金になったポイントは「課題の量」と「家から出られない」という2点だとわかる。自分が外に出られないとストレスを感じる人間だとは思っていなかった。
 加えて私は器械音痴で、ネットで情報を得ることも苦手だった。マナバを開いて、どこをクリックすればzoomのURLにたどり着けるのかわからない。手書き指定のレポートをスキャンして教授に送る方法を探るのに半日かかったりした(頼むから手書き指定にするなら郵送させてくれ)。何より、ネットというWi-Fi頼りの媒体に全てがかかっているのがストレスでたまらなかった。わからないし、わかっても嫌な気分。それが私にとってのリモート講義だった。

 あの時、何をすればうつ病になるのを防げていたのだろう。結局、私とリモート講義の相性が悪かったのひと言に尽きるのだ。1人が好きなのに、1人で家でじっとしているのが耐えられなかったのが予想外で、状況理解が遅れたのも理由・・・いや、理解したところでなんの対応策も無かったじゃないか。外出が禁じられていたのだから。

 これが私のうつ病になったきっかけです。3年経った今、希死念慮は薄まったものの不眠・だるさ・憂鬱・頭痛、に回復の兆しがありません。あとどれくらいかかるのか。毎日朝起きて同じ場所に出かける生活に、いつたどり着けるのか。もしくは自由の効く文章を書く仕事にありつくか、未来はまだ霧の中にある。
 ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?