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「唯一無二のその人を引き出す」株式会社TheEarth・代表取締役 坂本 大地さん

今回は若くして『誰もが夢を持ち「Only One」を生きる世界を創る』をコンセプトとしたオーダーメイドスーツ専門店の株式会社TheEarthを立ち上げた坂本 大地さんにお話をお伺いしました。

プロフィール
氏名:坂本 大地
年齢:23歳
出身県:茨城県
最愛の父や友人の死、姉の交通事故、東日本大震災震災、度重なる怪我によって絶たれた夢。
それでも支え続けてくれる人への感謝などを通して、
これからの長いようで短い人生の中で、自分がこの世を去ってもずっと生き続けるような、「世の中をより良くし、人々が夢を追える世界を創る」 思いからオーダーメイドスーツを取り扱う株式会社The Earthを立ち上げた。
現在の職業及び活動
株式会社TheEarth(ジアース)代表取締役

記者:どんなことがきっかけで今の活動をされていますか?

坂本:そうですね。昔から自分の夢やビジョンとか世の中をこうしたいとかいう考えを持つタイプの人間ではあったんですけど、死生観というのが強くあります。
僕は茨城県で生まれ育って、とても自然豊かな町なんですけど、周りの友達の影響もあって結構やんちゃだったんです。
勉強とかスポーツもよくできる方で、友達もたくさんいて自由に生きていたんですけど、中学年の春で3歳のころから仲の良かった親友をバイクの事故で亡くしてしまったんです。


それがひとつ死生観について考えるきっかけになったんですが、その時は正直まだ亡くなったという実感は薄くて、どこか遠くに行ってしまったんだなと思うようにして過ごしていたんですが、またその3ヶ月後に僕の姉が道でひかれてしまって、集中治療室に入って手術を何回も繰り返して寝たきりの状態が3ヶ月も続いてしまったんです。


今は元気にしているんですけど、そんなことがあって考え方が変わっていったんです。
それでも、亡くなった友人も野球を一緒に頑張っていたから、一度はやめようと思っていた野球を頑張ろうと決めてやっていました。
それで、中学3年の時に仙台の東北高校にスポーツ推薦で行くことになりました。
そこは、もともと憧れをもって目指していたところだったので、父親もかなり喜んでくれていたんですが、その翌月に父親が亡くなったんです
それが中学校3年の夏から秋にかけてだったんです。


そこで初めて自分の感性だけでなく環境も変わってしまいました。父親が居ないので気づけば母親が昼も夜も働くようになっていたんですね。なのでその姿を観て自分も野球をやっている場合じゃないと思って東北高校の進学を断ったんです。そしたら、それを聞いた母親が家庭で起きてしまったことで夢をあきらめさせることはできないと言うことを言ってくれて、そこから1ヶ月くらいかけて再び特待生として入れるところを探して埼玉の私立高校に入学することが決まってそこの寮に入れることになりました。


これで、もう野球をやっていくしかないと思っていたところ、中学を卒業した次の日に東日本大震災があったんです。
茨城も津波の被害にあって、昨日卒業したはずの体育館に集まって一週間くらい避難所で生活を送ったんですね。
計画停電になって物資もなくて厳しい環境だったんですが、復興しないまま僕は3月の末には茨城を出て行きました。
だけど地元の知り合いたちや地元全体が暗くなっている状態だったので、そういった意味でも外に出る人間として何か結果を出して、明るくできたらいいなという思いもあって、15歳なりにいろいろと背負って地元を出て行ったんです。
行った先の高校では野球だけをやろうと心に決めてたんですけど、1年生の夏、入学して3ヶ月くらいたった時に肩の怪我をしてしまって2回の手術をしたのですが気が付いたらもう高校野球が終ってしまって、ほとんど野球ができずに高校3年間が終わってしまったんです。更に怪我をしてしまったことですごくお金がかかってしまいました。
母親に治療費を出してもらい、姉に野球用品などのお金を出してもらっていたんです。
だから、野球で答えることしかできないのに野球ができないという3年間を過ごしました。

記者:この時期が坂本さんの人生に大きく影響しているように感じますね。

坂本:そうですね。この時期が精神的に自分を強くしたと思います。
現状を変えれないもどかしさや苦しさっていうのは凄くありました。
だからこそ、何か恩返しがしたい気持ちが芽生えて来ました。
死んでしまったら終わり、だけど自分が生きたことで何を残せるのか、どれだけの人に影響を与えれるのか。そう考えた時に会社を残せれば僕が死んでも100年、200年続いていってくれるかもしれなと思って、死んでも生き続けられるものとして会社を残そうと思いました。
そこから2か月間猛勉強して大学へ行きました。

一人一人の唯一無二の人生に深くかかわりたい。

記者:それで現在の仕事を始められたんですか?

坂本:その前に実はウエディングのオーダーメイドで起業しているんです。
でも、やりたいことは同じで、お客さんがオーダーメイドで決めることの背景には必ず理由があるんです。
自分はこういうイメージだからこの色にするとか、こうなりたいからこのデザインにするとか、決めることの背景にはその人の人生や夢があるんです、だから僕は一人一人の唯一無二の人生に深くかかわった行きたい思いで今の仕事をしています。

記者:素晴らしいですね。
これからはAIが活躍する時代だと思いますが、そんなこれからの時代に必要とされるニーズは何だと思いますか?

坂本:まさにこの仕事がそうじゃないかなと思います。
AIやテクノロジーは世の中を便利にしてくれるものなので、それはそれで発展していったらいいと思うんですけど。
人だからできる思いやりが大切になってくると思います。
例えば彼女にプロポーズするときに使った場所や、両親を旅行に連れて行った先の店員さんがロボットってどうなんだろうとか思いますよね。

記者:確かにそれはありますよね。

坂本:人は便利なものはどんどん使いたくなるから、そうすると体や脳を使わなくなりますけど、テクノロジーに依存した結果、自滅していくのはものすごく愚かじゃないですか。
だからもっと脳と心をリンクして、人の人生やその人自身を思いやっていくことが大切だと思います。

記者:まさにAIができない仕事をされていますね。

坂本:そうでありたいと思います。

感謝と日本の心を大切にしてほしい

記者:そしたら3つ目の質問になります。
坂本さんは今後どんな美しい時代を作っていきたいですか?

坂本:そうですね、僕の美しいの概念は美学みたいな考え方だと思います。
自分が唯一無二だということに気づいて、大きかろうと小さかろうと自分が自分しかないことに気づいて夢を追いかけて前を向いていくっていう世の中が実現していけば、もっと明るくていい時代になるんじゃないかなと思います。
そのためには、自分が今を生きられているのは誰に支えられてきたからななか、周りの人への感謝に気づくことが大切だと思います。
人の愛に気づいた時に本当の意味で感謝を知りましたし、ありがとうの言葉だけではなくて、絶対何か形で返したいと思うようになりました。

 あと、僕は日本の歴史が好きなんですけど、昔の日本にあった大和魂というものにも興味があります。
 日本は島国で、体も小さくて、情報も少ないし最先端の武器がある訳でもなかったけれど、国のために必死に頑張った人たちがいて日本が作られてきたし、戦争が終わって焼け野原になっても生き残った人たちが、亡くなった人たちの気持ちとかを考えながら、また平和な日本を作ろうとやって来る中で高度経済成長があって今に繋がっているので、そういった日本人としての美学や哲学を、元に戻すというよりは大切にしていってほしいという思いがあります。

記者:感謝の心と大和魂を感じますね。こういった思いを平成世代で持たれている方って中々少ないと思います。
最後に今後同世代の人たちとどんなことをやっていきたいですか?

坂本:自分らしさに気づいて、夢をもって欲しいのと同時に、もっと自分に対して、国に対して誇りをもって欲しいですよね。
自分を小さく思わずに、自分の無限の可能性に気づいて、自分という人間に誇りをもって大事にしていってほしいと思います。
そうすることで、日本の本来の良さ、企業の強さが出て来るんじゃないかと思います。

記者:若い世代でここまで考えられている人がいることにビックリしました。
とても貴重なお時間をありがとうございました。

【編集後記】
今回インタビュー記者を担当した小林&山中&中村&森本です。坂本さんの熱い思い、人に対する温かみを感じ胸が熱くなりました。また深い考えや日本に対する思いも強く、若いくして芯がありとても安心感を感じました。
これからの活躍を心から応援しています。

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この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36

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