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稲毛海岸ドリーマーズふたたび①


連作掌編小説です。
全文無料でお読みいただけます。


*A ふたたび*


 海岸なのに海が見えないな。

 ここに引っ越してきてすぐのころ、そう思った。思ってしまったら気になって、海がどこにあるのか、地図を検索してみると、車で10分、歩いたら30分くらいのところに、海はあった。日本で最初に作られた人工海浜の海水浴場。そんな説明書きもあった。

 海はあるけど絶えず見られるわけではない。勝手に膨らませた想像とは全然ちがっていて、ちょっと残念ではあるけれど、ときどき塩の香りはする。私の住む稲毛海岸はそういうところだ。

 そして、そんなふうに海岸と名前のついた街を思うとまたおかしな気がするけれど、私はフィンランド語で「森」を意味する、メッツァというケーキ屋で働いている。



「ご予約のお客様はこちらでも承ります!」

 カウンター脇に現れた店長が行列に向かって声をかけた。店長の声に応じて私もすぐに、お待ちくださっているお客様に笑顔を送る。

 どうしようかと迷っているお客様には微笑みかけて、行動の後押しをするのが有効的だ。列から進み出た数人のお客様を目で追い、その先に立つ店長と視線が合った。私は小さく会釈をする。

 このところ店は大盛況だった。通常の買い物をされるお客様に、クリスマスケーキの予約に訪れるお客様が加わった。お客様はひっきりなしに来店し、行列ができる時間も多い。

 これはメッツァの商品の人気のせいだけではなかった。駅前にあった大手チェーン店のケーキ屋が閉店し、この近辺でケーキを売る店はここだけとなってしまっていた。それゆえ、日常のケーキを買いに来てくれる人が増え、そしてそれがまた特別な日のケーキの予約にも繋がっている。

 休憩もままならず一日中立ちっぱなし。閉店時間である19時ギリギリにやってきたお客様を見送り、入口のシャッターをおろした途端に、保っていた緊張の糸が切れる日がもう何日も続いている。今夜も、すぐにでも座り込んでしまいたい衝動に駆られた。

 体力の限界ギリギリまで、気力でなんとか働いているのだから無理もない。遊んでいても、ごはんを食べている途中でも突然寝てしまう子供みたいに、大人でもスイッチが切れることがあるのだと知った。

「今日もなんとか乗りきった感じね」

 カウンターの中でやっと立っているといった状態の店長が弱々しくつぶやいた。

「そうですね」

 返事をしながら凝り固まった肩を小さく上下させて、私もゆっくりとカウンターの中に入る。伝票の束をまとめる店長の眉間にしわが寄っているのが見えた。これはよくない話が始まるときの前触れだった。

「増員は無理だ、って本社から言われちゃったわ。もう予約を受け付ける数を減らすしかないみたい。営業時間の短縮も止むを得ないわね。みんなの負担はこれ以上増えないようにしなくちゃいけないから」

 あちこちを騒がす人手不足。ここ、メッツァも例外ではなかった。店頭で販売に立つアルバイトも、将来のケーキ職人やパティシエを目指す弟子入り希望者も、なかなか集まらなくなっていた。求人の広告を出しても、問い合わせの電話すらかかってこないこともある。

「近頃の若者はバイトなんてしないのかしら?」

 先日受診した健康診断のクリニックでも、同業他社社員のぼやきを耳にした。とにかく働きたいと思ってくれる人がいない。めったにない応募者をやっと採用しても、数日から数カ月で辞めていってしまうことも多い。店の人手不足は慢性化してしまっている。もうこのぶんでは新人が採用できたとしても教育する余裕すらない、とグチをこぼすように話していた。

 思い返してみるといつのころからか、コンビニでも、うどん店でも、中年以上だと思われる店員ばかりを見かけている気がする。若い労働力、世の学生たちは、一体どこへ行ってしまったのか。

 そして待望の新人が入っても辞めてしまうケースが多いのはメッツァでもおなじだった。職人気質の強いパティシエの世界では年長者の言葉は絶対で、下に就く者は厳しい教育にガマンを繰り返していることが多い。それゆえいわゆる中堅どころになると、独立を決意したり、別の店へ移ったりしてしまうことも多かった。

 親方パティシエが引退を考える年齢になるのもそう遠いことではないだろう。そうなったらどうすればいいのだ。足りない人手を、限界まで働くことでカバーしている今、新人が採用できても教育する余裕もないかもしれない。今の無理だって、いつまでつづけられるかわからない。

 ならばどうする? どうすればいいのだろう? 予約を締め切り、短縮営業をする。そんなことをしたら、お客様は離れて行ってしまわないだろうか?

 心配は、してもしてもし足りないことはないような気がした。



 それからすぐに、店長の言葉は現実のものとなった。店内にも店先にも貼り紙を出した。クリスマスケーキの予約はどの種類もすべて数量限定とされ、イブとクリスマス当日の二日間は予約ケーキのお渡しのみで、通常ケーキの販売はしない。そして日々の閉店時間は18時と、これまでより一時間早められた。

 実行してしまえばなんということはなかった。クレームやご意見のようなものが寄せられることも想定していたけれど、そういったものもなく、お客様は静かに受け入れてくれた。店を開けている時間が短くなっても売上額は変わらなかった。単純に計算すると忙しさは増したのかもしれないけれど、体感的には少し楽になった、と甘い香りのキッチンでスタッフが笑った。

 私は店長のことをすごいと思った。煮えきらないタイプの人だと以前はちょっと失望していたのだ。マイナス要因を予想して決断できない、行動に踏み切れない、そういうタイプの人物だと思っていた。けれど今回はちがった。やるときにはやる人だったのだ。むしろ踏み切れないのは私の方だった。私だったらできなかったと思う。心の中で謝りつつ、私もそうありたいと思った。



 そうして予約の受付どころかクリスマスケーキの販売を知らせるポスターすら撤去してしばらくしたころ、

「予約したいのですが」

 男性客が現れた。

「申し訳ございません、すでに予約受付は終了させていただいております」

「え? まだ11月に入ったばっかりだよ?」

「申し訳ございません。とてもご好評をいただいて、終わってしまったんです」

「なんとかならない?」

「申し訳ございません。作ることのできる数量分すべて完売してしまっておりまして、追加でのご用意は難しいんです」

 久しぶりの問い合わせに言葉はなめらかには出てこなかったけれど、心を込めてお詫びしたつもりだった。

「ふざけてるぞ! 毎年買ってるのに!」

 男性は突然、怒声をあげた。相変わらず行列のできていた店内がしんと静まり返る。

「申し訳ございません」

 深く頭をさげて、私はお詫びを申し上げた。

「チッ」

 舌打ちの音が静まり返った店内に響く。そしてすぐにまたしんとなった。
 ほどなくして男性がその場を離れる気配がして、私は顔をあげた。もう男性は振り返らなかった。ドアの向こうに去っていく男性の背中に、私はもう一度頭をさげる。

 できれば予約を承って、笑顔で帰ってほしかった。メッツァの美味しいケーキを食べて喜んで欲しかった。私もそれを望んでいるけれど、残念ながら叶わない。つらかった。できることがなにもないというのは本当につらい。あの男性もつらかろう。毎年買ってくださっていると言っていたのに。今年のクリスマスケーキはどうするのだろう。

 誰かに話したら、たかがケーキのことでと笑われてしまうかもしれないけれど、胸が締め付けられるようだった。人手不足が恨めしい。

 どこにぶつければいいのかわからない思いはどうしようもなく、ただ私は私の縮こまった胸にひゅうひゅうと渦巻かせていた。


<稲毛海岸ドリーマーズ、ぜんぶで数回の投稿を予定しております>


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