見出し画像

0003:わしらは「どこ」で生きているのか

前回の続きの話をしましょう。

「ここ」とはどこなのか

まずはじめに・・・

汝らは、今、自分が『どこ』で生きているか、考えたことがありますか?

自分が生きている『この世界』とは、一体どこなのか? という疑問を持ったことがありますか?

人間誰しも『ここ』に生まれてきて、そして死んでいきます。

ひいては、すべての生き物が『ここ』に生まれて、そして、死んでいきます。

物理現象として「死」を捉えると、単なる意識の消失と、肉体の生命活動の停止、となるのですが、では、生きている間にはたしかに『ここ』にある、わし達の意識は、死を迎えると、どこへ行くのでしょうか。

生と死の観察と考察

思考実験のようになってしまいますが、それらすべての現象は、単なる偶然の積み重ねによる、一過性の出来事とも言えてしまいます。

なんとなく存在するこの世界に、ただ生き物が発生して、そして死という現象を迎えて、その間、たしかに存在している「意識」というものも、死とともに消滅する。

わしらが観察によって得られる情報からは、こういう感じの「生死観」を持つこともできますよね。

実際に、生死について、そういう視点のみで生きている汝も、多くおられると思います。

だから、ここから先は、単なる僕の想像の域を出ない話になります。前にも書きましたが、デタラメかもしれませんよ。ご注意くださいね。
d(^~゜ )

死後の世界があると仮定して生きる

わしの話は『死後の世界』があるという仮定のもと、進んでいきます。

いや、どちらかというと、そちらのほうがわしらのメインで、わしらは「そこから来ている」という視点で話を進めていきたいと思います。

この辺、結構他の方と認識が異なるようなのですので、繰り返して言いますが、

わしらは、死後の世界から来て、死後の世界に帰っていく存在である

というのが、わしの生死観の基本となります。混同しないように、よく覚えておいてくださいね。

(^~^ )

こう仮定して人生のシステムを考察していくと、今までの生死観では見えなかった、人生というシステムの存在意義が、すこしずつ見えてくるように思います。

次のページ(0004:実はこの世界の名前は
前のページ(0002:「人生の目的」という言葉が持つ、二つの意味
これは、拙ブログ『人生はなぜ辛いのか、と思った時に読むブログ』からの転載です。イラストや強調で分かりやすい、本家サイトはこちら。
https://jinseihanazeturainoka.blogspot.com/

このブログの文章を初めてお読みの方は、ぜひ第1回からお読みください。
https://jinseihanazeturainoka.blogspot.com/2018/09/0001.html

今回のエントリーのページはこちら。
https://jinseihanazeturainoka.blogspot.com/2018/09/0003.html



「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)