見出し画像

098 わたしたちが「全であり個である」のは〝なぜ〟か(おやモト)

おやすみ前の #モトの話  098

わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁

しつこいけど(笑)、大事なのでもう一回!

・相手のすることは、モトあつめである


怖がらせるひと、嫌がらせする人に出会ったら、これを一番に【アタマ】で考えてみてね😉💞こちらの恐怖心がすっと和らぎます。

では最後に……これまでの『他者を許す』の話の究極の結論について書きます。ここから先は完全に「オカルト」の話になると思うので(筆者はマジメに考察しているんですけどね)「ばっかじゃねーの?」くらいの気持ちで読んでください😅

まず……ずっと「他者」「他者」と書いていますけど、実際の「宇宙の構造」からすると、本当は「他者」なんて存在しません。
(ほらさっそくおかしな話をし始めました……大真面目な話ですよ)

え? 哲学? と思うかもやけど、これはモトから分かる宇宙の構造に由来する話で、そもそも「命」と僕たちが呼んでいるものって本当は一個しかない(!)んです。やからわしもキミも、赤の他人もみんな「一個の命」を共有する形で「個」をやっているんです。さながら、大きな命のかたまりからたくさんのトゲトゲがニューっと出てて、その先にそれぞれの顔がついているような構造をしているのが、わしら「個」というものなんです。
この構造を #モトの話 では

【うにのトゲ理論】

と呼んでいます。だから、わしら「個」が『いる場所』というのは命の材料である「モトの濃い場所」で、ほかの「個」がいるところもまた単に「濃い場所」にすぎず、「個」と「個」の間もモトがうっすらある、そういう構造をしているんですね(こういう構造だから「モトのやり取り」が可能なんです)。

やからJPOPによく出てくる「わたしたちはつながっている」なんて歌詞は、実は精神的なものではなく、わしらの構造上の「実態」を表してたんです。ゆえにこう言えます。

あなたは、わたしである

いいかえると「あなたがすることは、わたしがすることである」となります。相手のすることは、自分がするかもしれないこと、なんです!


「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)