0070:心配が人生を傷つける

ハラハラドキドキの大冒険

前回(0069)まで「怖さ」について書いてきましたので、今回はその派生である「心配」について書いてみようかな、と思っています。

生きていると、様々な心配事に出会います。明日のメシ代から、友人関係、家族の健康、そして社会全般の仕組みなどなど。とにかく、世の中は心配の種であふれています。

先に言っておきますが、(0068)のときにも書いたけど、世の中の様々な心配事が、心配すぎて、生活がままならなくなることがあります。そんなときは、まずお医者さんに相談してください。今は副作用が少なくよく聞く薬も、治療のための良いプログラムもたくさんあります。

とまぁ、そこまでとは言わなくても、普段の生活でいろいろなことを心配するのは、当たり前の感情と言えるでしょう。だれにでも、心配事の一つや二つあるもんです。
(^~^ )

では、このブログらしく、心配とはなにか、という話からしましょうかね。


「心配」のメカニズム

心配というのは、知覚できない事(例えば、未来の出来事や、遠くの出来事など)への不安感に対する、恐怖から来ています。

自分が、ある物事を、目で見たり、音で聞いたりといった、五感で理解できる状況でないとき、「どうなっているんだろう」という不安感が起こって、それが好き嫌いゲージ0015をぐいっと下げることで、心配する気持ちが起こります。

なので、心配事がココロを占めているあいだは、好き嫌いゲージがなかなか「好き」の方に動いてくれなくなります

好き嫌いゲージが「嫌い」寄りで動かなくなるので、当然、幸せな気持ちにはなりづらくなります。そのへんのことは、たしか(0029)あたりに書いたので、気になる方はもう一度、そちらをご覧ください。モトの量に関係あるんでしたね。

好き嫌いゲージが「嫌い」寄りになっているとき、関心事に対して(この場合、心配している対象)、モトがどんどん出ていってしまいます。もちろん、心配の対象はわしらに「知覚できない」場所、時間にあるので、「心配の対象」に届かなかったモトは行き場を失って、消滅してしまいます。

こうして、なにか心配するたびに、わしらは無駄にモトを消費してしまって、ただただ、ココロから幸せな気持ちを遠ざけてしまっているんですね。


心配は「モトの無駄遣い」

つまりですよ。

心配するってことは、ただただ、モトを無駄遣いするってことなんです。
d(^~゜ )

汝らの今までの人生を、よく思い出してください。なにか心配をすることで、得したこと、一個でもありますか

「あのとき心配をしていたおかげで、今はこんなに幸せです!」という話、聞いたことあります? ないと思いません??

確かに、心配になるような事件や経験を経て、幸せを掴むパターンていうのもあるでしょうけど、前にも書いたとおり(0068物事というのは、「ただ起こる」んです。シナリオに、そう書いてあるから、でしたよね(00110067あたりかな?)。

ですので、もうこういうふうに言い切ってもいいです。

心配は、するだけムダです。

心配というものは、最初に書いたとおり、自然に起こる気持ちです。でも、前回、恐怖を克服することについて書いたのと同じように、わしらは

アタマで、心配を克服する

ことができるんです。それをしない手はありません。


心配を「手放す」方法

そのやり方です。実はわしも日々、実践しています

まず、「心配をしている自分」に気づくところから、スタートです。

あ、今わしは〇〇を「心配」しているな、と「アタマで」とらえるんですね。

心配をするのは、とうぜんココロです。なので、まずアタマで、ココロ「心配している状態」をとらえるんです。

その先で役に立つのは、(0015)で書いた、感情の発生する手順

カラダ(状況の検知)
 ↓
アタマ(状況の解釈)
 ↓
ココロ(好き嫌いゲージの移動)

という知識です。

わしや汝が、この順番で物事を捉えた結果、ココロが「心配する」という反応を返してきているわけです。

ですが、先の手順をよく見ると、ココロを心配させているのは、その一つ手前の「アタマ」なのですよ。ここを変えるんです
d(^~゜ )

アタマが、出来事や状況をどう捉えているか、それによって、ココロが心配をするかどうか決めているんですから、アタマ

「それは心配することじゃないよ、なぜなら○○だから。そもそも心配は、するだけムダなんだよ」(太字のところがポイント)

ココロをなだめることによって、心配する気持ちはグッと和らぎます

特に、将来や結果に対する不安というものは、その時が来てみないと、絶対にわからないんです。わしらには、未来が見えませんからね。

なので、心配でモトをいたずらに減らしてしまうと、いざその時が来たときに、心の力が足りない、なんてことが起こるかもしれません。

モトは、「その時」のために、できるだけ温存しておいたほうが得です。

結論としては「心配するのをやめよう」とアタマで決めてしまう、という感じでしょうか。


腹をくくる

日本語には「腹をくくる」という、いい慣用句があります。

心配していることに気づいたら、意識的に「腹をくくる」ようにする、というのが、わしの説明に近いんじゃないかと思います。

慣れるまでは、なかなかできないことかもしれませんが、一度「腹をくくる」経験をすると、その後はスッとできるようになるんじゃないかと思います。わしはそうでした。このへんの体験談も、いずれ話しましょうかね。

でもですね・・・繰り返しますが、あまりに心配事がココロでもアタマでも処理できない場合は、身近な人に相談してみて、更に深刻だと思ったら、心療内科へ行ったりカウンセリングを受けてくださいね。前にも書いたけど(0068)、脳の形や機能の損傷による場合もありえます。自分の力でどうしようもないときは、他の方の力を借りましょう。それも役割分担ですよ(0024)。

ではあれを。わしの話は信じないでね。

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これは、拙ブログ『人生はなぜ辛いのか、と思った時に読むブログ』からの転載です。イラストや強調で分かりやすい、本家サイトはこちら。
https://jinseihanazeturainoka.blogspot.com/
このブログの文章を初めてお読みの方は、ぜひ第1回からお読みください。
https://jinseihanazeturainoka.blogspot.com/2018/09/0001.html
今回のエントリーのページはこちら。
https://jinseihanazeturainoka.blogspot.com/2019/01/blog-post.html




「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)