0008:三つのパーツの役割分担と調和

カラダとアタマとココロのバランス

前項で話したとおり、アタマココロは別物です。

もちろん、カラダも別物です。

だけど、これらはわしらが生きている間、分かつことができない、一体のものです。3つで一つの「汝」という存在を構成しているのです。

3つに分かれている訳は、

それぞれに役割があるから

です。

カラダは、この地獄世界で、行動するための道具。ハードウェアですね。

アタマは、それを制御するためのソフトウェア

ココロは、それらを支えるOSみたいなもんです。いざというときは自動的に動きます。

この3つが、各々の立場から、今の周囲の状況と自分の状態を報告しあって、汝がこの地獄でどういうふうに振る舞うかを決めています。

例えば、カラダを動かして疲れたら、休みますよね。要は、カラダからの信号を、他の二つがキャッチしているのです。

また、明日は忘れ物しないようにしなきゃ、と思ったら、ちょっと疲れていても、前の日にカバンの中に必要なものを入れておきますよね。これは、アタマの働きをカラダココロが受けてのものです。

そして、可愛い動物(猫でも犬でもオランウータンでもいいですよ)を見たとき、キャーかわいいー!といってナデナデしに行きますよね・・・行きませんか?(笑)
これが、ココロの信号をカラダアタマがキャッチして、やった振る舞いです。

これら三つの違いが、だいぶ分かってもらえたでしょうか?

この三つが調和してるとき、わしらは「幸せ」を感じるようにできています。

幸せを感じるのはココロの働きなのですが、そのためには、残りの二つのパーツの働きもすごく重要です。必要不可欠と言ってもいい。

逆に言うと、これらの働きのバランスが崩れると、わしらは幸せを感じづらくなります。

そう、人生が辛いと感じるようになるんです。

・・・やっと、このブログの『本題』に近づいてきましたね・・・長かった(笑)
(^~^; )


不幸とは何か

人生が辛い。それは、幸せを感じる機会が少ないからです。

文字に起こしてみると、至極当たり前のことに思えますが、実生活ではなかなかどうして、そうは言ってもなぁ、という感じでしょうかね。わしもそう思います。
(^~^; )

ではどうして、そんな風に「幸せを感じる機会が減る」のでしょうか。

それは、ひとえに「3つのパーツが上手く調和して動いていない」ということに尽きます。

これらが調和し、お互いがお互いを上手に利用して生きるようになると、この世が地獄であろうとなかろうと、幸せを感じながら生きることができます。

でもね・・・言うは易し、行うは難し、小野ヤスシですよね・・・以上ですキャップ。
【スターどっきりマル秘報告】


不幸と幸福の「仕組み」について

人生が辛いわしらの願いは何かというと、幸せに暮らしたい、ということにまとめられるんじゃないかと思うんですけど、このブログの初めの方でも書いたとおり、この「幸せ」の具体的な中身は人それぞれなので(それが人それぞれな理由はまた今度書きます)、その辺は「個別のドラマ」の話になってしまいます。

ですので、わしの話はあくまで「仕組み」「仕様」についての話だということを、ここでもう一度思い出してくだされ。
(^~^ )

では、3つのパーツが調和できるようにするには、わしらどうすればいいのか・・・その答えは、それぞれ3つがどうしてこの「地獄」の世界にあるのか、ひいては、わしらはなんでこの「地獄」を選んで生まれてくるのか、その辺と密接に関わってきます。

なので、もうちょっとわしの話は続きます。長くなってすみませんが、もうちょっとだけお付き合いくださいね。
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これは、拙ブログ『人生はなぜ辛いのか、と思った時に読むブログ』からの転載です。イラストや強調で分かりやすい、本家サイトはこちら。https://jinseihanazeturainoka.blogspot.com/

このブログの文章を初めてお読みの方は、ぜひ第1回からお読みください。https://jinseihanazeturainoka.blogspot.com/2018/09/0001.html

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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)