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自閉症、子供の教育

皆様お久しぶりです。

今、フジテレビの「NONFIX」を見ています。放映の内容は自閉症児に対するカウンセリングのドキュメンタリーの様な番組です。

放送初期の所に自閉症児の教育として、暴力行為に出たときは容認せず一定の隔離行動に移る・・・と


ふと昔を思い出しました。

3歳ころの記憶ですので曖昧ではありますが、母の実家にて何かをして叱られ、ひどく私は泣いていました。

それをなだめようとした母に対し、母の兄である伯父が「こいつが悪いことしているんだ、そのまま泣かせておけ!」と言った事を42歳になった今でも覚えています。

当時は「何てひどいい伯父さんなんだ!」と思ったものですが、今となってはその一言が今の私を作った、つまり過去に記事に離婚に関していくつか書きましたが、どれだけ腹が立っても手を出す事は誰にもしません。そんな人間に導いてくれたのは伯父だったと今更ながら気づきました。

伯父は当時も今も独身で子供はいません。でも、私たち子供に対して力を誇示する事がない代わりに大人と同等に誰に対してもきちんと自分の意思を言葉にして伝えるようにいつも求めてきました。


例えば・・・

車を止め、祖母をを待っている時、

「エンジン掛けるのガソリンの無駄じゃない?」

という質問に対し

「それなら、お前を乗せてドライブに連れてゆくのもガソリンの無駄だよな?それと今は冬だ、ばあちゃんが戻ってきたら暖かい車で待っててやろうとは思わないか?車はエンジン止めたら暖房が効かない、だからかけたまま止まっているんだ」←小学生に対する質問の回答です(笑)

こんな感じで話が通らない奴にはとことん話す、そんな伯父でした。


もしあの時母におとなしくなだめられていたら、3歳の私は勘違いをしたまま成長し、他を傷つける事を躊躇しなかったと思います。


悪いことをしたら隔離する、所謂精神的に罰を与えるなんて、犬猫のしつけではないのに人に対し、子供に対し何がいいんだと思われる方もいらっしゃるでしょう。


でも、「ダメなものはダメ!」と大人が教えない限り子供は覚えない、特に男の子は言葉が女の子に比べると遅れているので間違った方向に進みがちです。

実際、犯罪行為においても殆ど傷害など力に打って出るのは男性でしょう?


家庭内でも夫婦喧嘩をした時に言葉がマシンガンの如く連続して出るのは女性、それに対し応戦できなくなり手を出すのは男性。

これは脳の構造によるもので仕方が無い事なのです。ただ、性差に関係なく人を傷つけるのはいい事ではありません。


さて、伯父がいるなら父もいます。

まあ3年くらい前に亡くなりましたが、確かに父はいました。


ただ、3人兄弟唯一の男とあって、祖母に甘やかされたのだなと思う節はいくつもありました。


例えば直近にことであれば・・・

町工場勤めで給料15万、それでエンジン式溶接機や発電機などをいくつも買うのです。お金の出どころは祖父の年金。「返すから」と言って祖母から借りて色々と買うのですが、その額20年間総額で約2000万円


2000÷15=133か月・・・訳11年ですか(笑)

無理に決まってんじゃんwww


買い物なんかはどうでもいいんです。

父の性格で気になっていた事は、自閉症とまでは言いませんが、幼い頃に抑えが効かなかった様で、外面はよくても家にいて気に入らない事があると怒りだし、母に手を上げる。何十年も続いていました。

でも、バカだのカスだの言う割には毎夜毎夜母の体は求める変態おやじ、しかも子供のいる前でね。


自分の欲求に素直と言いますか、我慢が効かないと言いますか・・・


これ以上過去を語ると収まりきらなくなるのでまとめに入りますが、悪い事をしたらきちんと叱る事、それは力ではなく言葉や態度で「わがままを言っても受け入れてもらえないんだ」という事を子供にわからせる必要性は大切だと思います。

度が過ぎれば虐待や育児放棄になりますので、どの線が境界かと区切りをつけるのは難しいです。


自分がされて嫌な事は他人にしない。

これを子供に教えるのは親の役目であり、幼い頃に徹底する必要性を今回のオンエア見て強く感じました。


きっと、父も前妻も似たようなタイプで言葉に詰まると手が出るタイプでしたが、幼い頃に必要な事を教えられてこなかったのでしょう。


ちなみに娘はいい子に育っています。

何があっても言葉にして話す事と、他人に対する思いやりを忘れずに、もうすぐ中学校になりますが今も昔も変わらず優しい子です。


何か特別な育て方をしたかって?


していませんよ。


ただ、私自身が幼い頃嫌だった事はしませんでしたし、女の子だったので言葉が得意でしたから、どんな時もめんどくさがらずに話す。


それを心がけてきました。


心や思いは言葉にできませんが、やさしい気持ちがあれば人に通じる所は


あるのかもしれません。


私は今、伯父のあの対応に感謝しています。


あの時何か悪いことをして、きちんと叱られたからこそ


今があります。



まあ、時々人に優しいのも仇になるみたいで、どこかのショップで知らない人に話し込まれたりとか、わざわざ遠くにいる私の所に来て道を聞く外国人の方とか変なはまりかたをする事もありますけど(笑)


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