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アーバンスポーツ?

アーバンスポーツという名前の違和感
さいきんブレイクダンスがアーバンスポーツに入れられている。あたかも最初からそのカテゴリーに入っているかのような。
 アーバンスポーツってなまえをつける必要があった必然性について考える。必要があったからその名をつけることになったのだと思う。
イベントをするうえで、既存のカテゴリーを接続するカテゴリーをつくるために名前をつける必要があった。いわゆる都会でいけてるイベントらしきものをするために。いけてるらしきイベントをするためにイケてる名前をつける。さいきんオリンピックに導入され、イメージのよいブレイクダンスもとりいれることで便乗して集客、ビジネス、広報的にも効果も狙う。
でもアーバンスポーツなんていうけど、田舎でもやることだし、やれること。なんだか違和感がある。
あんまりイけてるイメージがつくられると、そこに入れない、入りにくくなってくるような気持ちでてくる。ダンスだけどアーバンダンスとはいわないし、アーバンダンスとはカテゴリー化しようとは思われない。
ブレイクダンスがオリンピックに導入されたことの影響によってスポーツというイメージが強くついてきた。

2022年のバトルオブザイヤーで、いままで台湾は台湾の名前で出場していたが、チャイニーズタイペイとオリンピック基準に合わせて国名が変えられた。ショーのなかでチャイニーズタイペイの国旗ではなく、台湾の中華民国国旗をつかうということで中国側がボイコットしたという問題が起こった。今までは問題なく台湾は中華民国国旗を掲げていたのに関わらず。ただのブレイクダンスの国際大会にもオリンピックの影響、政治の影響が及んできた。ブレイクダンスがそれほど広がりをみせ、オリンピックの効果もあるためそれだけ影響力がでてきたということなのかもしれない。HIPHOPカルチャーは人種や国籍を超えて交われるという側面があるが、政治と関連させられることにより、それが邪魔させられてしまうこととなった。本来のHIPHOPカルチャーをつらぬくなら、そんな政治的しがらみからは離れていくためにオリンピック等、政治的なものとは独立していくようになっていってほしいと思うが、なかなか。

こうして影響力が大きくなってきたということはダンサーひとりひとりの発言の影響もつよくなっていくということだと思う。以前サッカーのワールドカップで人種差別に対して抗議のアクションをとっていく海外の選手、チームがいた。それに対して日本はアスリートに政治的なものを持ち込ませないというような姿勢の発言が聞かれていた。持ち込ませないというより、知らない、わからないという面があるのではないかとも思う。だから発言もできない。
渋谷にミヤシタパークというものができた。そこは以前宮下公園という公共の空間であったが、ホームレスを強制退去させ、ミヤシタパークをつくった。綺麗なおみせ、きれいな芝生、整備されたイけてる空間。なんともイけている感じの場所。しかし、そうやって排除されていったひとの存在がいたことを忘れ、そういった存在のひとたちを普段のわたしたちの目から遠ざけるようにされ、清潔な場所がつくられていった。そんな事実はなかったかのようにアーバンスポーツ等のイベントもそこでは行われていく。
曲がりなりにもHIPHOPは多様性を謳っている。それはブラックカルチャーの抑圧された経緯もあるからであると思う。しかしながら現在こうしてイケてる感じになっていくことで、そうした排除されていくひとたちのことを忘れていってしまわないだろうか。
HIPHOPの四大要素と言われることの他、HIPHOPの歴史を大事に、ということを言われることがある。その歴史とはHIPHOP発祥の歴史についてだけでよいのだろうか。HIPHOPの歴史も現在起こっていることも、世界の出来事の文脈のなかでの出来事である。すでにバトルオブイヤーでの一件も発生しており、世界で起こっている歴史との関係を含めてHIPHOPと交わらせて考えていく必要があるのではないだろうかと思う。ダンサーひとりひとりの発言力も大きくなっていくなか、子どもたちに伝えていく役割をもっている大人たちがHIPHOPの歴史やダンスの技術、作法以外に、教養として歴史や日本、世界、社会のことを学んでいく必要があるように感じる

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