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JR福知山線脱線事故から19年 日本安全再生法2005

このレポートは2005年4月25日に起きた尼崎JR脱線事故直後に作成したものです。(12200文字あり,且つ、読みにくいです。)
 
 
2005年5月8日
安全国家をつくる「日本安全再生法(時限立法)」の制定に関して

はじめに
人類が引き起こした地球史上最悪の事故、チェルノブイリ原子力発電所爆発事故のあの恐怖が今日本に・・・

 日本人の誰もが憂えていることの一つが「日本の安全神話はどこへいってしまったのか」ではないのでしょうか。そして「どうしたら日本の安全がよみがえるのか」を今、誰もが真剣に考えているのではないでしょうか。
日本では近代工業社会の衰えとともに、日本の全社会的組織やシステムが劣化してきています。今般のJRの脱線事故や大企業や公的機関の不祥事・・そして治安の悪化、これ以上日本社会が悪くならないという保証は何一つありません。

「もはや手遅れである」と言う評論家も多く存在するようですが、私の意見は違います。ジュリアーニ市長が自らリーダーシップをとり、見事に再生したニューヨーク市のように、有能な日本人が底力を発揮さえすれば、日本社会に必ず安全は甦るものと私は信じています。

リストラも一段落した今日の経済社会ですが、リストラや構造改革の次に必要とされるのが、会社や組織の体質改善です。そして国民一人ひとりの意識改革です。この国家的ビジョンともいえる「改革」を成功裏に導き、日本に安全神話を甦らせるためには、卓越したリ-ダーのもと、国民参加型の運動に育て上げていく必要があると勘案されます。本提案書では、すべての日本人が安全、安心に暮らせるための一私案を取りまとめています。机上の空論でなく「やれば必ずできる」ものです。

なお、私は立法府や内閣府に関する専門知識を有していないため、立法に関する諸手続きや、登場する機関等に関する正確な情報を持ち合わせず、提案させて頂くものであることをご承知置き下さいます様お願い致します.
 
提案内容
·       官僚主導でない政治家と民間人による専門委員会(安全危機管理審査委員会)をつくる
·       日本安全再生法(仮称、時限立法)の制定に向け調査・協議を行う
·       議員側からの法案にまとめ、国会に提出し成立を目指す
※金融国会時の与野党間協議に民間人が加わったイメージ
 
 
·       何故、チェルノブイリ発電所爆発事故のあの恐怖感が、今の日本に存在するといえるのでしょうか
·        チェルノブイリの事故発生の要因は、今の日本が抱えている問題と類似しています。
チェルノブイリの事故の要因は、個人のミスやヒューマンエラーではなく、当時のソビエトに見られた硬直化した体制そのものに起因したものでした。

それは、個人は上層部から与えられた命令を忠実に従っていればいいという組織風土の中、目標を達成するためには手段をも選ばないという考え方に基づき、構成員が確信犯的に規則を無視しつづけたことの結果です。事故の真因は、中国の愛国無罪ではありませんが、目的のためなら規則違反もやむを得ないという誤った考え方がもたらしたものであることは明白です。

·        日本においても、硬直した官僚体制の弊害から多くの不祥事が発生しています。

·        JRの脱線事故に象徴されるように、多くの事故不祥事が組織の体質的問題から発生しています。

·        多くの日本人は、会社のため組織のため、そして自己保身のためなら良心に反する行動も辞さないと考えています。

·        旧ソビエト同様に経済の停滞が治安を悪化させています。

街にホームレスが暮らす姿を見ることも普通になってしまいました。経済苦からの犯罪や自殺も多発しています。ソビエトの社会主義経済の崩壊を彷彿させるように、日本の年金システムの崩壊も危惧されており、日本社会は重苦しい空気と閉塞感だけが漂う「希望」も「躍動感」もない不安社会と断じざるを得ません.

·        国民誰もが「いつ何が起きてもおかしくない世の中」であると心配しています。

·        意識的に遠くにあった犯罪や事故が、今は生活地の近くで多発してきている事に国民は気付いています。
 
·       何故、日本から安全神話が失われたのでしょうか 
·        第一に国民の意識が変わってしまった事が上げられます。
重大事故や犯罪の多くが関西地区で発生しています。今回のJRの脱線事故を始め明石市の花火大会歩道橋圧死事故、奈良の女児誘拐殺害事件、神戸の酒鬼薔薇事件や池田小学校乱入殺害事件などです。大阪市役所職員の過剰優遇に関する不祥事も報告されています。

 私の体験から捉えている関西人の特徴は以下の通りです。(敢えて悪い面だけを捉えています)

·       交通ルールを守らないことに表顕されているように「規則を守りたがらない」人たち

·       問題点や業務上の瑕疵を見つけたら徹底的に攻撃し「見返りを求める」人たち

·       先のことや他人のことはどうでも良いと考える「刹那的勝手主義な」人たち
 
一言で表現すると「自己中心的な人たち」となります。私の仮説を列記します。

·        ニューヨーク市もそうであったように、日本でも小さなルール違反の放置が重大事故を誘発させている。

·        東京でも横断歩道の信号を守らない人が増えてきました。日本全国に関西人気質が伝染していると考えられます。

·        日本の大都市を中心に関西人化の傾向は広がり、今後も小さなルール違反、大きな事故や犯罪は増加していく。
 
·        第二は政治が機能していないことです。

 先月には、お台場の東京ジョイポリスの遊戯施設において、乗り物から落下して男性が死亡する事故がありました。今般のJRの脱線事故でも100人以上の方が亡くなっています。あまり知られていませんが、農業従事者が農業機械操作中などの事故でなくなる数は、毎年350人から400人近くに上っています。しかしながら、それぞれの事故の管轄する官庁が違うため、政府が一体となり国民的事故防止対策に取り組む事はありません。

JRの脱線事故に関する調査、全社的事故再発防止対策の取りまとめは国土交通省の航空・事故調査委員会が行うと考えられますが、今後の職場での安全指導は「労働災害防止」の立場から所管の厚生労働省も関わってくることになります。この様に中央官庁や自治体の縦割り的組織では、今後の有効的事故防止活動は不可能ではないかと推察できます。以下に事故別所轄官庁等を列記します。
 
鉄道事故  国土交通省  旧運輸省 航空・鉄道事故調査委員会
遊戯施設事故  国土交通省 住宅局 旧建設省 日本昇降機安全センター
農業事故  農林水産省  消費安全局 日本農業機械化協会
労働災害  厚生労働省 労働基準局 旧厚生省 中央労働災害防止協会
原発事故 文部科学省 旧科学技術庁 原子力安全技術センター
 
·        1999年9月に発生したJCO東海村臨界事故を機に政府は「事故災害防止安全対策会議」を発足させ、いくつかの報告書を提出したようですが、その後は全く機能していないのではないのでしょうか。

·        日本においては「安全管理」行政が一本化されていないことが、事故多発の遠因になっていないでしょうか

·        日本のタガが外れていると指摘する識者は多いが、縦割り的官僚主権国家である日本にはタガそのものが無い、バラバラ指導型社会と考えられないでしょうか。

·        各省庁からの「通達」や所轄の外郭団体から出される「行動指針」が、現場の実情と乖離しており、各現場で具現化されていない(無視されている)のではないでしょうか。
 
·        最後は成功事例や失敗事例から学んでいないことです。

成功例はジュリアーニ市長が行ったニューヨーク市の治安向上対策でしょう。年間200件も発生していたという重大犯罪を減少させ、ニューヨーク市を美しく安全な街に再生させた方策を参考にすべきです。

 当時のニューヨーク市、現在の日本の大都市が抱える共通した問題点は以下の通りです。

·       落書きや小さなルール違反が街にあふれている、一部地域のスラム化も進行している。

·       ゴミや吸い殻のポイ捨てなどにより街の美観も保たれていない。
·       犯罪の国際化、凶悪化が進んでいる。
 
失敗例からも学んでいません。兵庫県明石市で2001年7月、花火大会の見物客11人が死亡した歩道橋事故から学ぶべき事が数多くありましたが、結果的に「警備業法」の改定が行われただけで、事故の教訓は事後に生かされていません。(2004年7月、与党の賛成多数で可決されました。)

この事故から何を学ぶべきでしょうか

·       35年前の大阪万国博覧会の際は、一日70万人の入場者があろうとも、当時の日本人は押し合い圧し合いを行いませんでした。日本人の危険予知能力は低下してしまったということを認識すべきです。

·       この事故は、雑踏警備を担当した警備会社の知識技能が、決定的に不足していたことにより引き起こされたものであり、警察や市当局の業務上の瑕疵は少ないことは明白です。しかしながら、三者が責任の転嫁をし合っており、事故発生の真因にたどりついていません。事故を調査する機関が警察という状況でもあり、以後の事故防止対策全般への指南になりづらいことを知らなくてはいけません。

·       結果的に警備業界への指導と規制の強化だけが残り、管轄する官庁や行政、警備業界には「安全管理ノウハウ」が蓄積される事につながりませんでした。事故はいずれどこかで再発する事になるかもしれません。
成功例と失敗例に学び正しい方策を展開してこそ、日本の安全は復活するものと勘案されます。まとめますと

·         日本社会のシステムの中に、安全管理というソフトウエアが欠けているのではないのでしょうか。

·         政治家は事故防止や安全管理に目が向いていないのではないでしょうか。 

·         日本の会社経営者や現場責任者の安全管理と安全教育に関する意識が、あまりにも低くすぎるのではないのでしょうか。

·         様々な要因から考察した場合、日本経済の源ともいえる「現場力」が衰えてきていると言えないでしょうか。
 
·       日本が抱える問題は何故存在するのでしょうか
·        国民の意識変化が生み出しているもの

 今般のJR脱線事故でも過密ダイヤが事故発生要因の一つに上げられています。過密ダイヤ自体が事故要因であるという科学的根拠は全くありませんが、運転手が定刻運行という結果を追いかけるあまり「安全運行を通じた定刻運行」という業務の本質を忘れてしまったようです。このことの背景には利用者である国民に「一分でも早く」という心理があることが指摘されます。つまり、近代工業社会的思想「より早く、より大量に」という考え方です。

 この考え方は以下の問題を生み出します。

·       経営者も従業員も「安全より早さ」「品質より量」が顧客の欲求であると勘違いしています。

·       安全や品質を追求すると競争に負ける。つまり「金にならない」と考えています。

·       組織の中に「安全管理」というソフトウエアが必要視されなくなります。

この様に、事故や不祥事の背景には、従業員の個人的要因に起因するもの、すなわちヒューマンファクターと会社などの人の集団、組織的要因に起因するもの、すなわちシステムファクターが存在するのです。
 
ヒューマンファクターから考察されるべき安全管理とは

·        安全第一の考え方に基づき業務に臨む姿勢や、個人の危険予知能力の向上が大切なのではないでしょうか。

·        安全第一の基本的考え方のもと、利用者や生活者も今後は企業の安全管理に協力を惜しまないことが求められていくのではないでしょうか。

·        管理者は労働者の「心理的プレッシャー」を高めるのでなく、「集中力」を高めることが事故防止の要諦なのではないでしょうか。
 
システムファクターから考察されるべき安全管理とは

·        行き過ぎた競争至上主義、結果至上主義、勝組み・負組み的ものの見方は、安全第一主義的経営と相反します。安全社会を構築するキーワードは「競争一辺倒」ではなく「相互協力であるべきです。

·        安全管理ができている会社や組織だけが発展する事実、大事故や不祥事を引き起こした会社が立ち直るには、相当の対価を支払わなければならない現実を認識させるべきではないでしょうか。

·        すべての組織に「安全管理」というソフトウエア(危険予知の仕組み、防止プログラム)を強制注入させるべきではないでしょうか。

·        すべての組織にあらゆる災害や事故の発生を想定した「非常事態管理システム」を強制注入させるべきではないでしょうか。

·        CSRやコンプライアンスあるいはISOの基礎部分は「安全性・健全性」です。安全管理度を企業が自ら、企業価値を測る評価基準の指標として広く社会に公開していく姿勢が求められていくのではないでしょうか。
 
·        行政が有効に機能していないことが生み出すもの

日本の縦割りの行政システムが遠因となり、事故や不祥事の発生を防止できていないのではという仮説を述べました。(これを今後ガバナンスファクターと呼びます)

現状、日本の行政は中央、地方あるいは一般職、特別職の公務員で有る無しを問わず、公僕たる公務員の総力が結集されていない状況が伺えます。このことは事故や不祥事の防止だけでなく、防災対策や大地震発生後の復旧業務にも表顕されています。

·       大震災後であっても非常事態対応体制の組織図が示される事はありません。

·       複数県にまたがった災害などの場合、総指揮を執るリーダーが不明確です。

·       政治家も政党単位で活動する傾向が強いようです。

·       政府の「事故災害防止安全対策会議」なども機能不全に陥っているようです。
 
公務員であろうがなかろうが、大都市に住んでいようが農村に住んでいようが、この国の国民であり、この国に生きる生活者であることに変わりはなく、「安全社会・日本」は全国民の総力で創り上げなくてはならないことは明白です。よって以下の点を変革する必要があると勘案されます。

·        安全社会の復活は、現状の官僚組織に任せるのではなく、国民参加型の運動に盛り上げていく必要性があります。

·        安全社会は生活の基本であり、今後は党派や思想、そして世代や労使関係を超えた、全国民に受け入れられる方針を打ち出していくべきです。

·        縦割り型の防止対策ではなく、各省庁や地方自治体を活用した、新しい「タガ」を構築すべきです。

·        法律が改正されるなどの変化が生じた場合には既存の通達的指導方法ではなく、教育現場を含め、あらゆる現場に改正内容が正しく伝わるよう全国民が協力し合うべきです。
 
·        研究不足と教育不足が生み出すもの

日本でもようやく民間企業の知識が行政にも取り入れられるようになりました。岩手県の行政品質向上運動の一環として導入された業務改善策や、中部国際空港の建設で教えられた改善策が「トヨタ方式」です。一方でニューヨーク市に学ぼうと日本の警視庁も一部ではありますが「割れ窓理論※」を取り入れています。しかしながら、日本の場合はすべてが点と点であり、良いものは全面的に取り入れていこうという姿勢が見られないことが、犯罪、事故、不祥事などの効果的な防止策になっていないことを知るべきです。それにより

·       理論は知っているがニューヨーク市のように組織的に動く事ができていません。

·       前例にこだわり、新しいアイディアや改革的手法に偏見を持ちやすい傾向が見受けられます。

·       「伝える」と「伝わる」は全く違う事に気付いていません。通達を出すことやポスターなどで啓蒙することだけが伝える手法だと教えられています。

·       団塊の世代が持つ、安全管理に関する知恵や技術も伝承されているとは言えません。
 
経営者であろうが労働者であろうが事故の発生を望んでいる者はいません。しかしながら日本社会の現状は事故の防止や、安全を回復させたい意思はあるものの「学びたいのだが、何をベンチマークにしたら良いか分からない」「実践したいのだが、どこから手をつけて良いか分からない」というのが実情であると勘案されます。そこで

·        日本の成功例から学ぶ、そこに共通する原理原則を知る。
·        海外の成功例から学ぶ、成功に導くための理論と秘訣を知る。
·        団塊の世代をはじめ、先人から学ぶ、組織に知恵を蓄積させていく。
·        良いものは積極的に取り入れていく。従来型の古いパラダイムを転換する。

ことが大切になってくるのです。

·       割れ窓理論
割れ窓理論は米国の学者ジョージ・ケリング博士が提唱。建物の窓ガラスが割れたまま放置されていると、管理人がいないと思われ、凶悪な犯罪が増えるという理論。ニューヨーク市では地下鉄の無賃乗車や落書きを「割れ窓」に見立て、これらを徹底的に取り締まった結果、劇的に犯罪が減ったとされる。
 
 
·       私たちは今、何ができ何をすべきでしょうか
第一に行わなくてはいけないことは、政界や経済界を含めた国民全体運動として「安全社会の復活」を決意することです。そして、今この問題を先送りすることは、チェルノブイリ事故並みの大惨事を引き起こす可能性があることを国民が認識することです。そのためには卓越したリーダーシップのもと、日本国民が一丸となってこの困難な問題に取り組んでいく姿勢が求められます。それは総理大臣や国土交通大臣の「ツルの一声」による対策ではなく、国民の代表者たちの声と英知を集めた、複眼的見地からの安全確保策を検討する必要があります。
 
再確認すべき日本の問題点と進むべき方向をまとめておきます。

·       日本の官僚よる硬直化した体制が日本社会全体の「システム劣化」を引き起こしています。

·       近代工業化社会を支えた「競争至上主義」が安全社会の崩壊を招いています。

·       日本人の危険予知能力は著しく低下してしまいました。

·       日本経済の原動力ともいえる「現場力」が衰えてきています。

·       日本には安全を管理する「タガそのものが無い」のが実情です。

·       公僕である公務員の総力が結集されていません。

·       街にあふれている小さなルール違反が犯罪や大事故の温床となっています。

·       良い防止策は全面的に取り入れていこうという姿勢で取り組んでいくべきです。

·       全国民の総力で創り上げなくては良い結果は得られません。
 
·        出来ること

 ここからは具体的な方策について述べていきます。もちろん一私案であり「たたき台的原案」と考えています。(前述しましたように、勉強不足のため内容が法案に盛り込まれるべきものか否かも分かりません)
 
·        基本方針
·                教育と指導体制を強化し日本人の危険予知能力を高める。
·                すべての組織を「安全を第一に考える人の有機的集合体」に成長させる。

·                日本社会に新たなタガともいえる「安全装置」を設置する。
·                民間の知恵を積極的に取り入れ現場力を高めると共に、実効性の高い法律や条令を制定する。

·                国民運動型の活動を目指す。
 
·        「日本安全再生法(時限立法)」の概要
·                内閣府に「安全管理特命担当大臣」を置く。 (防災担当特命大臣との兼任可)

·                「中央防災会議」と並列の機関として新たに「安全危機管理審査委員会」を設置する。

·                「安全管理特命担当大臣」の指揮のもと「安全危機管理審査委員会」が提言した「2010年日本安全ビジョン」に基づき、日本社会の安全指導教育体制の整備をおこなう。

·                同様に産業現場や教育現場などあらゆる現場の「安全管理体制」の整備をおこなう。

·                同様に被害者、被災者の保護に関する事業者の努力義務を明示する。
 
表現はともかく内容は、国民の 国民による 国民の安全のための法律であり、結果としての成果物は「安全社会の復活」です。従ってこの法律の施行が日本経済へ悪影響を与えるものであったり、国民に「縛り付けられ感」を与えるものであったりしてはなりません。
 
·        安全危機管理審査委員会の概要
·                構成委員
·       与野党議員(政策新人類再登場) ● 学者を除く民間の専門家や作家 ● 民間企業の現場管理者 ● 報道、芸能など最前線にいる人など 
(官僚を外し、官僚がやってほしくないことを決める)
 
·                事故防止活動の進め方
·       ヒューマンファクターへのアプローチ
あらゆる現場において個人が安全作業に集中できる環境づくりを指南する。
 
·       システムファクターへのアプローチ
組織が個人の安全作業をサポートする体制の構築を行う。結果的に個人は安全作業に集中することを可能にさせる。
 
·       ガバナンスファクターへのアプローチ
日本においては、統治者は国民であり統治されるのも国民です。同様に経営者も一方においては消費者であり生活者であり国民であるという観点から、ガバナンスという用語に対し広義の解釈をした上で、日本社会の安全装置ともいえる新しいタガを構築し運用していく。
 
·                「日本安全再生法」以外の提言事項
·       2010年日本安全ビジョンの提言
全国のあらゆる現場において、安全意識改革活動を実施する。またニューヨーク市が実施した安全確保施策を研究し、全国の大都市を中心に「事故、犯罪の芽摘み取り作戦」を展開する。このほか、できるところから有効的な施策を実行に移し、2010年には日本の「安全国家復活」を宣言できるよう努力していく。
 
·       大阪地区安全確保特別条例の提言
大阪湾岸地域(兵庫県、大阪府、奈良県の都市部)を重点対策地域と位置付け、上記施策の他あらゆる方策を講じ、数値目標を明確にした事故犯罪防止策を推し進めていく。(準非常事態宣言対応)
 
·        このように変わります(一部を想定)

消防法の運用と同様に考えて下さい。消防法の適用を受ける職場には、無形のプログラムが存在します。予防を目的とした「防火責任者の選定」や「消化訓練(演習)の実施」、火災発生時における「避難・誘導」「通報・連絡」「初期消火」の係も事前に決められています。つまり、職場には通常業務上の職責と共に、防火・防災を目的とした、もう一つの職責があるということです。

ホテルニュージャパンの火災やいくつかの雑居ビルの火災などを通して、経営者の防火・防災に関する意識は向上し、消防法上の「タガ」はこのようにしっかりと機能していますが、事故防止に関しては各職場に「タガ」や「安全装置」が機能している状況ではありません。これが、地域や小さな事業所も含めた安全管理の仕組みが必要な理由なのです。
 
·        事故予防
全事業所に効果的な事故防止マニュアルを策定させます。農業従事者や漁業従事者も同様です。その上一定以上の規模の事業所には、消防法に基づく防火管理規定を参考にした「事故防止マニュアル」を策定させます。

「事故防止マニュアル」の内容は事前の組織体制の明確化(事故防止のために誰が何をするか)と事故発生時の体制の明確化(事故が起きた時誰が何をするか)です。指揮命令系統を明確にするとともに状況レベルに合わせた対応が取れるようになります。
 
·        組織図
消防法を参考にした上で、各職場での事故防止を目的とした「安全確保組織図」が明確になります。事故発生後の指揮命令体制と共通性を持たせることが大切です。
 
·        レベル別対応法
アメリカ方式のレベル1からレベル5の警戒体制および、非常事態対応を参考にします。
 
·        中央防災会議との連携
災害(労働災害ではない天災)発生時には、内閣総理大臣や特命大臣の指揮下のもと「中央防災会議」「安全危機管理審査委員会」が一体となり、非常事態対応活動を円滑に行うべきです。
 
·        期待される社会の変化
「時差通勤や時差通学が安全社会の構築につながる」「社会的コスト削減のためなら会社の営業時間は9時から5時まででなくても良いのではないか」などの柔軟な思想が、社会を大きく変える可能性もあります。少子化や労働人口の減少が見込まれる中、今後は従来型の土建主義に基づき、更に鉄道を高架化していくなどの施策も見直されるかもしれません。国民的安全意識の向上は交通渋滞問題や開かずの踏切問題にも良い影響を与えていく可能性があります。
 
·        すべきこと
アメリカが1980年代に行ったように、日本も近代工業社会型思考から脱却し、人間の知恵の結集が経済や社会をよくするという、堺屋太一氏の理論「知価社会への転換」が必要であると勘案されます。その上で以下の意見を述べさせていただきます。
 
·        「安全社会」は結果的に社会コストを低減化させることを認識すべきです。
「安全社会」とは危険予知能力の高い人々が、法令遵守思想のもと自助・公助・共助の精神で労働、生活する事により成り立つ社会であると考えます。ニューヨーク市がそうであったように、治安は甦り、結果的に街に経済的活気も戻ってくることにより、社会的にプラス要因が増加しマイナス要因は低減化していくことは確実なのです。
 
·        より一層民間の知恵を生かすべきです。
民間企業は知っています。 消防署からの防火指導や警察からの防犯指導そして事故防止指導や防災指導がバラバラであることを・・・。
トヨタ自動車がトヨタ方式を広く世に公開しているように、企業はその成功方式を一つの「企業価値」として捉えています。結果的に企業のブランド化と好イメージ化につながるからです。

ディズニーも同様です。ディズニーのテーマパークは顧客満足経営や顧客サービスのビジネスモデルとして、アメリカMBAのスクーリングにも利用されていることからも理解されるように、広く社会に持てるノウハウを公開しているのです。特にディズニーの安全に対する取り組み姿勢と安全管理システム等のノウハウは卓越しており、日本社会がディズニーから学ぶべきものは多いと勘案されます。(現状ディズニーのサービスレベルの高さだけは知られていますが、卓越した安全管理に関しては全く知られていません)
 
·        ベンチマークを明確にすべきです。
 通常安全対策の規準や水準というと、管轄官庁やその下部組織である財団法人から、都道府県を通じて示されるものです。最近の例では六本木ヒルズの回転扉死亡事故後につくられた「回転扉に関する安全規準」などがあります。事故が起きるたびに事故を起こした人や組織の責任を明確にするだけの「安全規準」が付け加えられますが、これらは事故防止に対し必ずしも役に立っているとは言えません。

むしろ弊害になっている事実もあります。経験上敢えて言わせていただければ、これらの安全規準は、東京ディズニーランドの現場運営には「不必要なもの」です。

 通達的安全基準でなく、それぞれの企業現場に合った安全水準つまり、ベンチマークを企業自らが構築できる能力を高めていく必要があります。もちろんそれは、通達の基準を超えるものでなくてはなりませんが、事故防止の上で大切なことは「安全性向上に対して常に考えつづける人の集合体」こそが、真の安全社会を創り上げることを国民全員が知ることです。
 
·        メディア力(取材力、報道力)の低下を心配すべきです。
新聞記者やテレビのコメンテーターの分析力が低下しています。これはIT化が進み現場を取材しなくても映像や電話だけで、原因を知ろうとする姿勢が分析力のみならず観察力、直観力をも低下させているものと考えられます。

メディア自体も本来の中立的立場からの報道姿勢を忘れ、ビジネス上の思惑(視聴率など)を重視した報道をする姿勢が見受けられます。
現象から原因を探る力が衰えれば、いわゆる「大本営発表」を鵜呑みにします。発表された内容が真実であるか、そうではないのかが分からないのです。もちろん、事故を起こさないためには「どうすべきであったのか」という核心に近づくこと、つまり事故の真因を知ることは出来なくなります。
 
·        警察も司法も疑ってみる必要があります。
 昨年3月に起きた六本木ヒルズの回転扉事故では、死亡事故前28件の負傷事故が発生し、負傷者が救急車で搬送される重大事故も数件発生していたにもかかわらず、会社は十分な安全対策をとってきませんでした。しかしながら警視庁は、運営本部長は事故を予見できなかったとして起訴もしていません。死亡事故前に28件の事故があっても「予見できなかった」とすると、ほとんどの事故も「予見不可能」になる恐れがあり、安全管理の視点から考えた場合、この警視庁の判断には疑問を抱かざるを得ません。

 兵庫県明石市の歩道橋事故の一審では、業務上過失致死傷罪に問われた県警、明石市、警備会社の元幹部ら5被告に対し「業務上の注意義務があったのに怠った」と認定し全員に同じ実刑判決が言い渡されました。

 警備を担当した会社は「強制力を持つ警察と同じ量刑というのは大きな違和感がある」と話しています。この一審での判決は、裁判史に残るであろう、間違った判決であると言えます。ここでは詳しく述べませんが、警備会社の責任が重大であり、警察や明石の過失は軽微なものであったことは明白です。

 この事故の調査委員会が提出した事故報告書の内容が事故の真因にたどりついていないことから、司法も誤った判断をしたものと勘案されますが、多忙を極める警察や裁判官の「どうするべきであったか」を見抜く力が衰えてきているように感じてなりません。
 
·        学者の壁を知るべきです。
日本はよく「役人天国」と言われますが、一方で「学者天国」と言えると思います。ここでいう「学者」とは大学等で教鞭をとりながら、専門分野を研究している人たちの中で、特に経済や社会学、心理学などの分野で机上の空論を展開している人たちを指します。(決してノーベル賞を受賞した科学者などを批判しているのではありません)

学者は現場を持っていません。基本的には部下を持っていません。研究するのは自由ですが、現場の実情を知らずに論ずることには多くの弊害があります。たとえば学者によるマニュアルの定義は「一般的なルールブック」ということになりますが、実際の現場で使用されているマニュアルの定義は「教科書」に近いものです。学者の方々は、自分たちが執筆し使用する「教科書」と「マニュアル」は同じ物であってはならないと考えているのでしょうか。

その考えのもと、事故などの悪しき現象が表顕すると学者は必ずといって良いほど「マニュアル主義の弊害」などとマニュアル悪者論を展開します。学者がそう言えば世の多くの人たちも「そのとおりだ」と洗脳されてしまうのです。

事故が発生すると企業内に学者(大学の教授)を中心とした「安全委員会」などの組織が結成されますが、その後事故が再発してもその人たちが事故の責任をとることはありません。

このような学者の壁を知った上で、今後効果的な安全対策を講じる場合、評論家的な学者は外すべきです。繰り返し述べますが、それぞれの職場での安全確保にとって重要なことは「自分たちで安全対策を考える力をつける」ことです。現場を知らない学者の意見に従っていれば良いという時代ではないということを国民全体が認識すべき時なのです。
 
·       最後に
国民的活動の中心になる触媒型のリーダーが必要です。異なった意見に偏見をもたず、多くの人々の「参加したい」という意識こそが人々の意識改革や、現場の体質改善につながっていくことを理解したジュリアーニ市長のようなリーダーが登場することを日本国民は切望しています。

そのうえで、官僚を外し官僚がやってほしくないことをやっていくためには、過去に何かを成し遂げた人物でなくては「抵抗」に負けてしまいます。
 
 
参考
官僚は「安定輸送の確保」「利用者保護の観点」から行政の役割を果たしていく事が重要であると考えているようです。つまり、安全も大事だが利便性も大事であり、行政は公共事業同様に鉄道行政に関わっていくと宣言しているようなものです。この考え方は今般の事故の遠因になっていないでしょうか。
 
この根拠は、運輸技術審議会諮問第23号「今後の鉄道技術行政のあり方について」に述べられています。
平成10年11月13日 運輸技術審議会 http://www.tasksafety.org/toushin.htmより抜粋
 
●すべての人や物に及ぼし得る危険を、技術的実現性や経済性を踏まえ、可能な限り小さくすることを目標とする。
·       鉄道事業者が安全を確保すべき対象は、利用者等の通常予見される行動形態を前提とする
 
つまり、国土交通省は、安全性と経済性を同列で考えているのです。地方の弱小鉄道会社への影響も考えての報告書ではあるでしょうが、旧来型の護送船団方式に通じるものがあるように思えてなりません。

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