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1月のある日のこと。

言語化できない矛盾し相反した思いの中を行ったり来たりして、それでも答えなど見つからず、一体私が何の答えを求めているのかもわからなくなってしまった冬のある日、防寒重装備、マスクをしながら私は日暮里にいた。
マスクをしていると社会と自分を遮断できる気持ちになって気持ちがよかった。
永遠につけていたくなるので、気をつけている。

日暮里の近くの根津に住んでいたのは10年ほど前。恋人と別れ、しばらく友人の家に居候をさせてもらっていたが、流石に一人暮らしをしなければいけない時期が迫り、その元恋人の家のある浅草と自分の職場への経路が調度良い根津にした。どうして元恋人の近くに住んだかというと、一緒に飼っていた犬を預かってもらっていたからだった。いつでも会いに行きやすく、結局別れても13年も付き合っていた元恋人とは家族のような繋がりになっていた。根津はそれまで行ったことがなかったが、20歳くらいから付き合って世田谷でずっと住んでいたから知らない街に住んでみたかった。始めは半分やけくそな気分だったのもあった気がする。

根津は住んでみると、ただただ最高だった。少し歩くと上野公園、藝大でご飯食べたりするのも楽しかったし、不忍池の蓮を季節で見られることが当時の傷心した自分を救っていった。冬、泥の池に気持ち悪く佇んでいる蓮は、春が来て初夏を迎える頃には恐ろしいほどの成長を見せてくれる。蓮の花が狂ったように咲き始めるくらいなると、その圧倒的な生命力に心を奪われていった。そして私の中にもこの生の力が眠っているように思えてきた。

谷中墓地を抜けると、西日暮里に着くのも散歩をして発見し嬉しかった。
お墓だらけの街だったが、不思議と怖さがなかった。
私はその根津にいた頃にまた恋をして、結局約半年で今度は新宿に引越しをすることになるのだが、新宿に引越ししてまたその恋も終わる頃、久しぶりに根津に行く予定ができて前に住んでた家を見に行くと、火事で無くなっていた。
火事が起きたままになっていて、黄色いテープなども張られているので慌ててネットで調べると大きな火事が起きていたニュースが見つかった。
大家さんも亡くなっていた。足が悪いおばあさんだった。一度家賃が遅れてしまった時にもの凄い形相で怒られたことがあった。その時お金に困っていて2ヶ月分の家賃を払えず、情けないが母親に借りた。大家さんは沢山働いてお金を貯めてきた事をいつも話していた。その日はあまりのショックで根津から新宿まで歩いて帰り、その事を友人に話しながら落ち着いていき大家さんに献杯をした。

日暮里と西日暮里の区別があまりつかずにいたが、当たり前だがとても近いことを今回知った。日暮里の駅で待ち合わせをしたのは「ニュートーキョー」という喫茶店で、数日前渚ようこさんのお別れ会で何度も「ニュートーキョー」というタイトルのMVが流れていた事を思い出していた。その曲が頭の中で回り続けながら、一人コーヒーを飲み待ち人を待つ。辺りを見回すと年配の方が多く、近くに座っているおじさんは美味しそうなハンバーグを食べていた。ここは食べ物も美味しいようだとその時思ったが、後でそれを日暮里の友人が本当に美味しい事を教えてくれてその夜はまたここに来て食事をとった。

友人はSMの女王様で、今回私は何気なく彼女のスタジオにお呼ばれした気分でいたのだけど、私の撮影という事で集まってくれた事にしばらくして気がついた。

続く。





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