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Subba Factory - A

 ある朝目覚めると、自分が巨大な毒虫になっていることを発見した。
 そんな風に外圧的に、日常を辞めても良いという許可が欲しい。工場勤務の辛さを知っている人間がどれほど居るだろうか。俺はAIが人間様の仕事を奪うというなら、本当に早く奪って欲しい。俺が生きて居る間に奪って欲しい。朝は5時に起きる。5時に起きる生活のせいで、夜遊びは出来ない。まぁ特に酒を呑むのが好きな訳でも無いし、女に金を使える程の金も無い。でかいテレビとかゲーム機とかコンポとか、色々なよく分からん機能の付いた冷蔵庫とかは無い代わりに、俺は働き始めて金が入った際の最初の大きい買い物として、乾燥機付き洗濯機を買った。近所のコインランドリーには「汚れた作業着を洗うな」という旨の張り紙があって、食品工場で働く俺の作業着に大きな汚れは無かろう、関係なし、と思っていのだけど、ある日其処の家主らしき中年の女性に肩を叩かれ、無言で貼り紙を指差されたことがあった。乾燥機付き洗濯機を買おう、と思った。
 8時に帰り、作業着を脱ぐ、洗濯機に突っ込む。5時に起きる、取り出す、着る。インスタントコーヒーと何個かセットの袋詰めの菓子パンを押し込み、原付に乗る。工場に着く、着いたら荷物類をロッカーに詰め込み、移動して作業着の上から工場用の白衣やらキャップやらを付ける。朝のお話みたいなのがあって、持ち場に散開する前にうちの工場では工場員の相互チェックを行う。きちんと衣服類を着ているか、髪ははみ出ていないか。散開。極度のオートメーションにより、それぞれの受け持つ作業はほぼ「ボタンを押すこと」に統一されている。専門的技術は必要ない。俺たちに必要なのは、ボタンを押す・押さないという判断能力とボタンを押すための筋力だけだ。変化が無くては労働の意欲が薄れてしまうということで、担当箇所は日々シフトで変更される。昼まで、ひたすら流れて来た商品をチェックし、ボタンを押して送り出す。昼飯を食う。休憩が終わる。夜までボタンを押す。集合、作業報告。片付け。各々の電源を落とす、脱ぐ。荷物を持ち、原付に乗る。7時に工場を出る、買い物をする、8時に帰る。
 俺はボタンを押す。
 働き始めは、ボタンを押すという目の前の作業から、思考を逃す努力をしていた。様々なことを考えた。自分の欲求について。自分の過去について。生について。性について。隣でボタンを押す男の一生について。向こうに見える女性の家庭環境について。工場の汚さについて。流れて来る商品の生きていたときのことについて。今ここでこれをやる俺について。ボタンを押すという行為について。ボタンを押すことについて。ボタンについて。


 ボタンを押す、と、思考、二つを同時に行うことがこの辛さからの逃げ道だと思っていた。思っていたが、それは間違いだった。段々と、思考が手元に吸い寄せられて来るのだ。考えれば考えるほど、自分の作業にクローズアップしてしまう。時間が経てば経つほど、同じことばかりを考えていることに気付き、辛くなってしまう。
 「考えたら負け」だったのだ。それに気付いてからは、何も考えずに、リズムに体を預け、思考は虚無に預けてしまう、これこそがコツだと見出した。「無」という文字を考えても良い。虚無を象徴する何か、全てが無くなった「白」を考えても良いし、全てを呑み込んだ「黒」を考えるのも良い。大事なのは、それが何かに繋がらないことだ。それが俺の、仕事に対して見つけた、「ハッピー」であった。
 俺は自分で積極的に音楽だとか映画だとか本だとか触れた経験が無く、人との接点があまり無い。家に帰って点ける、何と無くのテレビ番組は、欲望を掻き立てられるほど、翌日まで覚えておけるほどの熱中感を感じられない。だから、誰も、同僚は俺と喋りたがらない。食うのも適当だし、性欲といってもストレスが溜まって来たら何とはなしに性器をいじる程度のものだ。眠りもルーチンだ。
 だから、俺が好きというか、俺を託せる音楽は「工場のリズム」くらいのもので、「ガッタン、ガシャンコ、グワン」と俺の前に差し出された缶詰を矯めつ眇めつ検品して再びベルトコンベアに乗せてラベル貼りへと送り出す「ーーーーーカタッ」というその日の作業が、例えばクラッシックの某の曲を某が指揮するかのように、とか、パンクバンドの何ちゃらの繰り出す一体感のような、みたいな表現で表すことは出来なかったのだが、「ガッタン、ガシャンコ、グワンーーーーー(慣れるとこの「5呼吸でチェック」はリズムに組み込むことが出来た)カタッ」は俺の音楽だ、と思えた。俺の音楽に身を任せていた。
 「ガッタン、ガシャンコ、グワンーーーーーカタッ、ガッタン、ガシャンコ、グワンーーーーーカタッ、ガッタン、ガシャンコ、グワンーーーーーカタッ、」
 自分が巨大な毒虫になっていることは発見出来なかったが、昼休憩の時に、俺は巨大な機械の一部になっていることを発見した。なるほど、巨大な機械に成れば、この日常を辞めることが出来るんだな。
 それほどこの日常を続ける価値というのもよく分からなかったため、俺は巨大な機械の一部に成りたい、と珍しく自分の欲求を発見した。休憩上がりの際に、「ガシャンコ」の際に降りて来るプレス機の安全装置を外す。安全装置が上がっててもラインは動くのだ。どんな欠陥機械だ。フフ、と笑っている自分にまた少し驚いた。仕事場で笑うなんて。しばらく、「ガッタン、ガシャンコ、グワンーーーーーカタッ」を続けたところで、90度お辞儀の姿勢を取り、ベルトコンベア上の鯖缶に頬擦りをする様な格好を取る。周囲から何やら声が上がる。フフ、案外注目を浴びるというのは嬉しいものなのだな。
 ガッタン、ガシャンコ。
 確かにプレス機は降りた。降りたのだったが、何故か意識がある。おかしいな。頭がグシャグシャになって、考えたり出来る訳は無いのに。90度お辞儀を戻して直立する。我が頰を撫で摩る。ツルツルしている。固い。近くの機械の鉄板部分が鏡の様になっているので、其処に自分を写してみる。
 鉄板を覗いてみると、俺は鯖缶人間になっていることを発見した。                           


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