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時代が変わる時間、テレビを見てた。

地上波各局ザッピングしてみたら、
一番騒いでいたのはNHKだった。
スタジオもそうだが、中継も賑やかなところを映していた。

渋谷は各局、みごとにすべっていた。
雨だからカサをさしている。
上から撮った画面には、カサしか映ってない。
ハロウィンもワールドカップもお正月も、
人のうねりというかものすごい雑踏、
一人ひとりの表情までカメラがとらえている。

だけど、カサカサカサカサ、どこを撮ってもカサ。
カウントダウンも控えめ。
ビルのモニターは、その瞬間すっと消えていた。
パブリックなカウントダウンはなかった。
警備サイドの知恵だろう。

安倍首相の国民代表の辞はカミカミだった。
「末永くお健やかであらせられますことを」
ちょっと難しかったね。

天皇陛下のおことばの最後一文。

「明日から始まる新しい令和の時代が」
天皇が次の年号に言及したことに、ちょっとドキッとした。
少なくとも明治以降、初めてのこと。

「平和で実り多くあることを」
外務省は令和をBeautiful Harmonyと訳するそうだが、
天皇は「和」を「調和」ではなく、「豊穣」とした。
仁徳天皇以来の「かまどの煙」帝王学の現れだろう。

「皇后とともに心から願い」
美智子皇后に対する愛情、気配りだろうなあ。

「ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」
祈る、という言葉、行為に出会ったとき、いつも思い出すのが、
釜石の宝来館のおかみさんの言葉だ。

おかみさん(岩崎昭子さん)は、
「祈る、って寄り添うことだと思う」
おかみさんが寄り添うのは、
津波で亡くなった人たち、
その遺族、
いまだに亡くなったかわからない人たち、
その家族。

祈るとき、目をつぶっって手と手を合わせて、
心の中で、
安らかに、とか、元気だして、とか
言葉にするのではなく、
念じることでもお願いすることでもなく、
励ますことでもなく、

「気持ちを寄り添わせることが、祈ることだと思うんです」

2012年ごろのことだったと思う、
この祈りの解釈を聞いて、
それまで「祈り」に抱いていたモヤモヤが、
スカッと晴れた。

明仁天皇が「祈る」とおっしゃるとき、
おかみさんの「祈る」がいつも、ピタッとはまる。