アスパラガス

アスパラガスが美味すぎる

アスパラガスが届いた。
「東北食べる通信」の4月号だ。

「東北食べる通信」は毎月、
情報紙+たべもの
で届けられる。
情報紙で特集した農家がつくった農産物を
(魚介類や食肉のときもある)
いっしょにパッケージしてある。
農家(漁師、畜産家)のストーリーを読んで
「そうなんだ〜」
と歴史、いまの課題、将来の展望、
つくる楽しさ、つらさ、
食べてもらって「美味しい!」といわれたときの嬉しさ。

そんなのを読みながら、
もりもりもりと、
今回ならアスパラを食べる。

4月号が5月末になったのは、
アスパラガスの収穫が上手くいかなかったから。
3月の大寒波で、アスパラの生育がぴたりと止まった。
立ち枯れ、腐敗したのもあった。

読者1500人のうち、
そうとうの数が遅配になる。
SNSで事情を説明し、
読者に直接、お詫びと見通しを連絡する。

そのアスパラが昨日、届いた。
秋田県大潟村の松橋拓郎さんがつくったアスパラガス。

松橋さんは早稲田大学の出身。
学生のときから、農業農業と騒いでした。
農業の危機、農業の大切さを説いて回っていた。
出身は大潟村、
入植3世だ。

大潟村は1964年、八郎潟を干拓してつくられた。
広い田んぼ、外国製の大型コンバインやトラクターを駆使して
効率的で収穫量の多い大規模農業、
「日本のモデル農村」、としてスタートした。

現在、494戸。スタートは589戸あった。
高齢化も進んでいる。

松橋さんは、家業の農業を継ぐ決意をして、
ヨーロッパに学びに行った。
大きな農業のアメリカではなく、
小さな農業のEUに。

半年、お仕掛けインターンや農家居候を経て帰国。
卒業して北海道のアスパラ農家で修行。
2011年、大潟村に戻って、農家になった。

2018年、減反政策が終わった。
大潟村とおなじ、50年続いた農業政策の転換は、
大潟村でうまくいかなかった、大規模農業を目指す。

健闘を祈る、
というわけにはいかない。
自分たちが生きるために食べる食べ物をつくる農業を
他人ごとのように無関心ではいられない。
食べ物をつくる人たちを
他人ごとだからと無視するわけにはいかない。

上に政策があれば、
下に対策がある。

中国人から教わった言葉だ。
わたしができることをやっていく。