ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんが、
昨日の大隈塾「たくましい知性を鍛える」のゲスト講師だった。
透明人間、と表現していた。
小さな意見、端っこからの意見は無視される社会。
そんなこという人たちはいない、
そんなこという人たちはわがまま、
そんなこという人たちはバカだ。
そんなこという人たちがいるの?
朝鮮学校も無償化、なぜだめ?
沖縄の辺野古、なぜ埋め立てる?
原発、なぜなくならない?
点字ブロック、なんのためにある?
村本さんは、
「今日は目先の笑いをとらなくていいよな?」
と同意を求めて、話を続けていく。
「今日はこれだけはいいたかった」
いくつもいくつも話題を変えていく。
でも、たどりつくとろこは同じ。
「耳を傾けているか?」
「考えて、考えて、考えているか?」
朝鮮学校に通う生徒たち、
通わせる父母、祖父母、
沖縄に住む人たち、
ホントは原発は怖いと思っている住民、
障がい者、障がい者の家族、
「ネタにするな、社会の問題を笑いにするな、
漫才師は漫才だけやってろ、
っていわれるし、SNSで叩かれる」
「タブーなの。
みんなそこにふたをしていたり、
目をつぶっていたり、
嘲笑ったり、あざけたり」
「でも、ちょっと背中を押してあげたり、
ちょっと指でポンって押してあげたりするだけで、
『見ててくれる人がいるんだ』
『認めてくれる人がいるんだ』
『自分は透明人間じゃなかったんだ』
って、喜んでくれる人たちがいるんだ」
「選択肢を持ってるか?
選んでるか?
考えて、選んでるか?
考えないで、選ばされていないか?」
「選ぶとしたら、どっち選ぶ?」
「理不尽なことがあったら、
イヤだと声を上げる人になるか?
その人たちを冷笑する人になるか?
理不尽なことをなかったことにするか?」
透明人間が多すぎる。