平成建設

人を育てるのが一流、カネを残すのは三流

重要文化財はぜんぶ大工が建てた!

言われてみれば確かにそうで、
木造建築の国宝、文化財は大工がつくったことになる。

その大工のなり手がいない、
いないならば育てなければいけない、
誰もやらないならオレがやる。
ということで、秋元久雄さんは1989年、
平成建設を立てた。
平成元年で、平成建設。

大工は工務店の下請けじゃない、と。
「大工の客は施主のはずなんだけど、
いまは大工の客は工務店になってる」

平成建設は本社静岡県三島市、
従業員600人、
大卒、院卒が全国から集まってくる。
文系の学生たちもくる。

まずは全員、大工の修行。
そこで、どんな工程で建物ができるのか、実体験する。
基礎工事、足場の組み立て、型枠工事、
そしてようやく大工の仕事になる。
現場監督も自分たちで、
設計も自分たちで、
足場の解体も自分たちで、
アフターサービスも自分たちで、
ぜんぶ自分たちでやる。

秋元社長いわく、
大工の棟梁は技術がなくちゃいけないだけじゃなく、
頭が良くなくちゃいけない、
図面が引けなくちゃいけない、
いろんな場面でのノウハウの蓄積がなくちゃいけない、
ピンチのときに慌てない度胸がないといけない、
ピンチのときに逃げ出さない勇気がなくちゃいけない、
下のものをまとめるリーダーシップがなくちゃいけない、
下のものを育てる指導力がなくちゃいけない。

「こんな人間しか、大工の棟梁にはなれないんだよ」

秋元社長は、後藤新平の言葉をよく引用する。
「金を残すのは上の下だ、仕事を残すのは上の中だ。
じゃあ、上の上は何かっていったら、
人を残すのが上の上だ、って」

金を残すのは三流、業を残すのは二流、人を残すのは一流。

お金がないと事業は立ち上げられない、事業は人がいないと続いていかない。

だから大工を育てるんだと、と。
「ゼネコンとか中小の建設会社とか、
誰かオレのマネするかな〜、って、
30年じっと見てきた」

そしたら?
「オレのマネするヤツは誰もいなかった(笑)」