インフォメーションからインテリジェンスへ

インフォメーションからインテリジェンスへ

ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんがゲスト講師の回。
大隈塾の講義目標は
「自分のアタマで考えて、自分の言葉で話す」
だった。

ありきたり、よく聞く言葉ではあるけれども、
じゃあ自分のアタマで考える、っていうのはどういうことか。

大学生にとって「考える」とは、
「問題を解く」に等しい。
正解を導き出す、ということか。

自分の言葉で話す、というのも未体験ゾーン。
自分のアタマで考えたことがほぼないのに、
自分の言葉で話すなんてことがあるはずもない。

あるとすれば、たとえばそれは、自分の体験談だ。
自分の身体を使って、実際に肌に触れてみて、
喜怒哀楽、恐怖おののくなどの感情が湧き上がり、
通り過ぎて、一定の時間が経ち、
まだ言葉になっていない感情を、言葉にする。
これをやる授業がある。
「体験の言語化」という科目だ。

それはさておき。
自分のアタマで考えて、自分の言葉で話す、とはなにか。
インフォメーションとインテリジェンスの違いについて説明した。

これは、わたしが若いとき、大学生でライターをしていたときに、
ジャーナリストの高野孟さんに教わったことだ。
インフォメーションとは、テレビや新聞やネットから流れてくる「情報」
それを、自分のアタマで煮詰めたものがインテリジェンス。
高野さんはよく、「情報を集めて捨てて煮詰めて昇華させたもの」
と表現していた。

インフォメーションが「1次情報」とすれば、インテリジェンスは「2次情報」。
「1次情報」のほうが価値がある、というメディアの一面もあるが、
1次情報が「事実情報」だとすれば、2次情報は「意味情報」。
事実情報をかき集める。
具体的に公開されている記事や論文を集める、
時系列で集める、
まったく関連しないが、なにか気になる情報も集める。
誰かがいった言葉を思い出す。
誰かと体験したときのことを思い出す。
それらを、選択して、捨てて、つなぎ合わせて、意味を考える。
仮設をたてる、でもいい。
そして、その意味、仮説がホントにホントなのかを確かめる。
誰かに話して、反応を見てみてもいい。
詳しい誰かに話して、正しいかどうか確認してもいい。

それでようやく事実情報から意味情報へ変換したことになり、
「自分のアタマで考えて、自分の言葉で話す」
ということになっていく。

いまの大学生は新聞を読まない、テレビを見ない、
情報はネットからとる。

村本大輔さんは、
「ネットからどーっと流れてきた情報を、選んでいるか?」
と大隈塾の受講生たちに問いかけた。

実は、選んでない。
実は、どーっと流れてもいない。
自分の好みの情報が、自動的に届けられているのだ。
それを読んだり見たり聞いたりする。
それを誰かに話す。訊かれたら答える。

まだ、自分のアタマで考えて自分の言葉で話していない。
そうするには、トレーニングが必要だ。
日本語が話せる、聞いてわかるだけでは、
自分のアタマで考えて自分の言葉で話すことにはならない。