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自分の得意な勉強のスタイルを知る

勉強のおもしろさは知っていても、ちゃんと勉強をやり始めたのは遅いほうだったと思う。
高校生のときに読んだ横山光輝さんの「三国志」に出てきた諸葛亮孔明。
漫画なので多少誇張はあるだろうが、戦略や戦術を考え、人の心理を洞察して個性的に生きている姿を見て、
ちゃんと勉強しよう!と心から決意してすぐバスケ部を退部したことは今でも覚えている。

後はシャーロックホームズ。
たったいくつかの証拠からこんなにも鮮やかに難解なパズルを解く人がいるんだ!と心から思った。
前者は実在の人物をモデルにしえいるとはいえ、
漫画や小説の主人公にここまで影響を受けるとは何て単純なんだろう(笑)

その後、元々楽観的でいい加減な性格もあり、
大学受験は余裕だと思ってたら浪人するということもあったんだけど、
高校生から大学生、社会人の最初のうちに勉強を通して自分を見つめる作業をしてきた。

そこで、勉強について大切だと思うことや自分がやってきた勉強法を何回かに分けて書いてみようと思う。
勉強は子どものときで終わりじゃなくて、一生続くものと思っている。
勉強という言い方に抵抗があれば「学習」でも「学ぶ」でもいい。
勉強・学習・学ぶことは生きることだ。

大まかに言って見て覚えるのが得意か、
聞いて覚えるのが得意か、
体で覚えるのが得意かは把握しておきたい。

聞いて覚えたり体で覚えるのが得意なのに、
教科書を眺めていても覚えられない。
見て覚えるのが得意なのに、音声を聞いていても覚えられない。
こんなことは学校での学習の中でよくあることだと思う。

私は前記の3つすごく差があるわけではなく、
見るも聞くも体もすべて使って勉強をやってきたので、
はっきりとこれが得意と言い切れる感じではないのだけど、
あえてどれと聞かれれば「聞いて覚えるのが得意です。」と答えます。

今はさっぱりだけど、中学生のころに英語の単語を言いながら書くうちに、
新しい単語を聞いたらスペルを自然に書けるようになっていた。
高校生のときには書いて覚える作業をなくし、
見た単語を言うだけで覚えるようにした。

また、世界史・生物では教科書を読むことに徹した。
読んで覚え、忘れたらまた読む。
教科書の下の方にある細かい知識をどうしても忘れてしまうこともあり、
受験や資格試験に関しては完璧を目指してしまうという性質上
3年間で20回以上は読んだと思う。
模試でも、センターでも、世界史・生物とも9割以上だった。

強くも弱くもないのが英語・国語、弱かったのは数学。
特に数学はひどくて、受験1年目は6割くらいだった。
これが原因で受験失敗。
これは勉強方法を間違っていたんじゃないかと反省し、
公式と出題パターンがいくつあるかをそれぞれの分野で分析して、
公式と出題パターンを声に出して丸覚えする作戦をとることにする。
2か月ほどで志望大学には余裕で合格できるレベルになりました。

ここで言いたいことは、
学校で与えられた通りの勉強法は自分に合ってない可能性も多くて、
自分に合った勉強法は取り組みながら自分でつかんでいくしかないし、
自分でつかんだものは成果につながりやすいということだ。

何か目的をもって、習得を目指して取り組むときに、
自分の得意を知って取り組むのと、知らないで取り組むのとでは
成果だけでなく、勉強するプロセスにストレスを伴うかどうかに関わる。

〇〇受験については受験戦争やら偏差値教育やら
マイナスのあれこれで語られることが多いけれど、
多くの人が受験や資格試験勉強をする機会が少なからずある現代では、
受験という全体が弱み人で、相当向いていないのでなければ、
受験に取り組む過程で、自分の内面に向き合ったり、
自分の強みや能力について把握したりする機会として
活用するという視点で挑んでみるのはありだと思う。


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