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エゴとハートのバランスを見つめるマガジン

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記事一覧

「する」偏重の世の中で、「ある」についても考える

この世は「する」偏重の世の中だなと感じることが多いです。何もしないことは悪で、何かをすることが良しとされ、褒められる傾向にあると思います。夢に向かって努力したり、困難に立ち向かったりすることはとても褒められることで、学生時代や若い頃は特に「そういったことが評価されるのだ」、という価値観を持って生きている人が多いのではないでしょうか。これも学校教育やメディア、その他あらゆる物語の影響が大きいのかなと

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「救いたい」はエゴ?おせっかいの是非

昨今のコロナ騒動やワクチン騒動を見ていると、相変わらずのカオスっぷりで、結局私も玉石混交の様々な情報の渦で踊らされる人間の一人なのだな~と改めて思ったりもしています。私はマスクや消毒は害の方が大きいと思っていますし、ワクチンも危険なので打ちたくないと考えています。家族はいわゆる一般的な考え方なので、マスクや消毒に熱心ですし打てる機会があればワクチンも打つものと思われます。

マスクや消毒はまだしも

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「世間体」とハラスメント蔓延社会

日本は「世間」の圧、同調圧力が強い国だなというのは昔から感じていたことではありましたが、少し前に『世間の目』(佐藤 直樹著)という本を読み、その考えがさらに増強されました。この世の中で最大の権力は銀行家をはじめとする支配層にある…という見方もある一方で、精神的なレベルでは「世間」というのも同じかそれ以上の権力を誇っているものだなと感じます。生物としては健康に生きられても「世間」の中で生きられなくな

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明らかに酷くなる社会とポジティブな心

気付けば2018年も終わりに近づき、今年は随分とnoteの更新頻度が下がったなと思う今日この頃…。書きたいことはたくさんある一方でこれまで通りのやり方でnoteを書き続けるかどうかは考え中。来年はどういう形になるかはわからないのですが、引き続きお付き合いいただければ幸いです。noteを書いていない間も何もしていないわけではなく、社会についてこれまで通り本を読んだり勉強したり自分なりに考えたりしてい

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「何を」より「どんな気持ちで」するかが大事

人間性よりパフォーマンス、生き方・考え方より職業・学歴、そして、気持ちよりもしたこと・実績が重視されるように見える現代社会。「どんな気持ちで」「どんな動機で」が問われることはあまりなく、「何を」したのか、どんな結果を残したのかというのが人を見る基準のようになっているところはありますよね。中身を見る能力もなければ、中身を磨こうという方向に努力しない人がたくさんいて、実績を偽り虚栄を張る人までいます。

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犯罪者を無条件に責められる?

少し前の話、先日10月31日のハロウィンの日に所用で渋谷に出かけていたところ、案の定たくさんの仮装した人々とすれ違いました。ここのところ、抑圧とその反発心から非行や犯罪に走ることがある、といったことを書いていたので、このハロウィンの仮装の人々もそういった社会の抑圧と無縁ではないんだろうなと思いながら足早に駅の改札へと向かいました。ハロウィンは悪魔崇拝の恐ろしい儀式が起源にあるということを知っている

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過保護な親も厳しい親も結局同じ

10月は不正や道徳について長々と綴ってきました。不正や非行、犯罪と道徳・モラルについて考えていくと、どうしても子育ての問題に行きつくし、世の中全体の治安と子育てというのは切っても切れない関係にあるなぁと痛感します。ステレオタイプ的な見方かもしれませんが、世の中で犯罪を犯してしまう人というのは、たいていは複雑な家庭で育っていたり、裕福であっても家が厳しかったりと、いわゆる「夫婦仲睦まじく愛にあふれた

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抑圧・締めつけは不正の温床

家庭であっても会社などの組織であっても、立場の低い人間に言うことをきかせようと、抑圧・締めつけ策に出ることは多々あります。家庭だったらゲーム禁止、学校だったらミニスカ・茶髪禁止、会社だったら各種規定や過度なノルマなどがそういった例かと思います。抑圧には過度なプレッシャーという意味もあるかと思うので、無理難題を突き付けて、できなければ罰といったやり方も抑圧・締めつけ策に含まれるでしょう。こういった恐

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「識別力」を高める一つの道

ここ数回にわたって、嘘か真実か、善か悪かなど、あらゆるモノ、情報、他人などを見極める「識別力」が重要だという記事を書いてきました。これは「賢さ」といったものともニアリーイコールだと思っていて、「識別力」が上がるほど賢明に生きられるようになるだろうと感じます。「識別力」が大事なのはわかった、じゃあどうやってそれを高めていけばいいのか?と次に考えます。これは人によって色々なアプローチ、考え方があるかな

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つい、他人を変えようとしてしまう時

ほとんどの人は「愛=条件付けの愛」と(潜在レベルで)認識していて、自分の願望を相手に投影すること、相手を自分の思い通りにすることが「愛」であると錯覚しています。いわゆる恋愛や夫婦、親子関係などの親しい人の人間関係においては、この傾向がより顕著になり、相手が自分の思い通りにならないと不満を感じたり、子どもを自分の望むような子に育てようとしたりして、双方が苦しんでいるように見えます。頭のエゴというのは

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「都合のいい人」を好きになる?

結婚や婚活、妊娠、出産など、アラサーともなるとそういった話題にも非常に敏感になります。前回、最良の婚活は、自分を見つめることという記事にも、昨今の婚活への話題に関する自分の考えを書いたところです。私は以前から子育てについては並々ならぬ関心があり、仲睦まじい両親のもと、たっぷり愛情を受けてあたたかい家庭で育った子どもが増えることが、世の中をよくするための最善の道なのだろうと思っています。そのためにも

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ありのままの自分を認め、未熟な自分を磨いていく

世の中的にもスピリチュアル界隈でも「ありのままの自分を認めよう」といったメッセージは耳にタコができるくらい聞いてきました。その言葉だけ見るとあまりにもありふれていて、かえって薄っぺらさすら感じる部分もありますが(笑)、自己肯定感が低いのがデフォルトの現代人にとってかなり胸に染みるメッセージだと思います。自己否定や自己嫌悪に陥ってどうしようもないとき、心が本当に苦しい時にそういった言葉をかけてくれる

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実績・作品と自己価値を同一視する苦しみ

資本主義社会は競争社会で、どこへいっても競争競争、勝つために、1位になるために頑張ることが良しとされる風潮があります。前回、過度な競争心をあおる教育・スポーツの記事にも書きましたが、私たちは物心ついたころからずっと他人と比較され、上位のものが称賛され、他人に認められるのだという洗脳にがんじがらめになっていますよね。それは「私たちはありのままで価値がある」という無条件の愛とは正反対の「私たちは才能が

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過度な競争心をあおる教育・スポーツ

これまでにも書いてきましたが、最近の私は特に具体的な目標もなく生きており、何も目指していないので、心が平安でいられる時間が増えてきました。あるのは内面の目標のみ(もはや内面の目標しかなくなったの記事参照)、目標がないからこそ、誰とも比べず、競わず、嫉妬もせずに心が落ち着いていられるようになったのだと思います。自分の生き方、価値観、思想が固まってきて、他者の評価や世間体から解き放たれてきたことも大き

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