道徳を 教えられない 大人たち

私もついに昨日で30歳になり、アンケートで30代にマルをつける年齢となりました。幼少期からずっと持ち続けていた正義感や道徳に関する記事を今も書いていることを考えても、何歳になっても人の本質の部分は変わらないのだなぁと思ったりもします。個人的に歴史上の哲学や倫理を学んでいる最中ということと世の中的な嘘や不正事件の多発が重なり、今は余計に自分の中の正義感や道徳・倫理について見つめ直しているところです。

一般的に大人のようにスれていない子どもの方が正義感は強く、間違っていることは間違っていると素直に指摘できるし、正直に生きているものです。大人につれて「本音と建前」を使い分けるようになり、利害関係や損得勘定を重視するあまり平気で嘘をつくようになります。大人は「子どもを教育しなければならない」という思いが潜在的にあるように思いますが、正義感・道徳・倫理などに関することについては、むしろ大人が子どもの純粋さを見習わなければならないように感じます。本来は道徳・倫理こそ、大人が子どもにしっかりと教えなければならないことですが、それを身をもって教えられる大人がいないからです。

今の(というか今も昔もずっと)世の中において問題になるのは、人々のモラルや倫理観の低さによるものが多いと思います。現代だとフリマアプリなどの消費者同士のもののやり取りによるトラブルなどが良い例でしょうか。もっと大きなものになると、今回の各社の不正・偽装事件といったものにも発展します。「早く、もっと」「自分さえよければいい」というエゴの肥大により、平気で嘘をつき、不正をする大人たち。「フリマアプリは学生なども利用しているのだから多少のモラルの低さはあるだろう」と思う人もいるかもしれませんが、「子は親を見て育つ」と言いますから、結局は大人のモラルの低さが根底原因にあるのだろうと思っています。実際、モラル問題は年齢にはあまり関係なく、個人による部分が非常に大きいです。

小学校の頃「道徳」という授業があったのを今でも覚えています。学校教育においては(受験に必要な)主要科目ばかりが重視される傾向にあり、「道徳」はテストで点数化できるようなものでもないため、軽視されていたように思います。しかし、本当に一番大事なのは、小さいころからしっかりと正しい生き方を教えることなのではないかと思っています。それは「道徳」という教科のくくりでなくても何でもいいと思うのですが、当たり前のことを当たり前にできる人、物事の分別がつく人をきちんと育てなければならないし、それが大人の責務なのではないでしょうか。問題は、その重要性を大人が認識していないこと、それをしっかりと身をもって教えられる大人があまりにもいないことなのだと思います。

私自身は、何かをするにしてもまずは自分の内面、心をきれいにしてからした方が良い、という考えを持っていて、今は徹底的に浄化する時期と思って内面を見つめ直しています。正義感・道徳・倫理が欠如した状態でビジネスを始めたり、人にものを教えたり、芸術作品を世に送り出したりしたとしても、絶対にどこかで破たんすることが目に見えています。そういった生き方、心の土台がなければ、どこかでエゴが肥大して悪事に手を染める可能性が高いからです。今回の不正事件でもわかったように、悪事がばれた後の信用問題、損失というのは相当なもので、それこそ失ってからでは遅いものです。正義感を持って正直に生きることは、なかなかできることではなく、心の美徳だと思います。子どもに道徳を教えようなんておこがましいことを考える前に、まずは我が身を振り返り、天に恥じない生き方をしていきたいものだなと感じました。

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