「他人受け」を手放して、創造性を発揮する

3月は体調があまり安定せず、お腹を壊したり、かと思えば下腹部が硬直して動かなくなって食欲がちょっと落ちたりと、まだ完全に本調子ではない感じです。身体の過緊張が起きたり、筋肉に痛みが生じたりする時は、抑圧された感情が爆発寸前であったり、今までの価値観や固定概念とハートの本心のせめぎあい・葛藤が起きていることが多いです(自分の経験上)。今起きているこの身体の緊張感は、今まで良しとされてきたビジネス論やビジネスの在り方に対する反感や違和感が徐々に表面化し、固定概念を脱ぎ捨てたいハートの本心から来ているのではないかと感じています。

前回の記事、他人に媚びることは実は見下すことなんじゃないかにも書いたことですが、他人に受けようとして何かをつくったり、売れそうなものを考えるというのは、これまでのビジネス論的には良しとされてきましたが、やっぱり何かしっくりきません。年末ごろ、2017年はクリエイティビティや創造性が重要だという記事を書いていましたが、他人に受けるとか受けないとかそういった頭の計算で何かをつくろうとした時に、人間のクリエイティビティや創造性が発揮できるのだろうか?とちょっと思ったんですね。人間のクリエイティビティが最大限に発揮されるのは、その人自身が愛と情熱を持って楽しんで創造しているときだと思います。その時フルに活性化させているのはハートであって、頭ではないでしょう。「頭を使って他人に受けるものを作ろう」という発想自体が何かもう全然ピンとこないんですよね。

そんなことを思っていたここ数日、実家に帰って引越しのためにモノを片づけたりしていたとき、私の保育園時代の絵や工作っぽいもの、小学校時代の作文なども多数出てきて、ぱらぱらと見ていたんですが、子どもの頃は純粋に楽しんで絵を描いたり、自由な発想で創っていたんだなぁということに気づき、「今はそういう気持ちを失いつつあったかもなぁ」と思いました。他人の目を気にするとかうまくやろうと思うのではなく、ただ純粋に表現することを楽しんでいた頃の作品が今の私のハートのどこかに共鳴した感じです。頭で考えないとうまくいかない!資本主義社会で生き抜けない!という固定概念にいまだに縛られていたのだなと感じました。

お店でも食べ物でも商品でもサービスでもなんでもそうですが、その提供するもの(目に見える見えない関わらず)に愛や情熱がのっているか、ハートの純粋さが感じられるか、といったことにますます敏感になる予感がします。これは私だけの感覚ではなく、多くの方がそうなってくると思います。頭のエゴからつくられたものには愛がのってきません。ハートから湧き起こるものが「真実」であり、それが触れた人の心を打ち、その方のハートの美しさや純粋さを映し出していく…わかるようなわからないような話ですが(笑)、人は無意識レベルでそういったことを察知しているのだと思います。「消費者に媚びている」「スポンサーに媚びている」「炎上狙い」「情弱をカモにしている」と思わせるようなものって世にたくさんありますけど、やはりハートから湧き出てくるものでないとそう長くは続かないでしょうね。その提供されるものの原点が頭のエゴの計算か、ハートの真実か、というのがよりシビアに見られると言いますか、嘘は見透かされるし、ズルはばれるし…という流れがより加速してくるような、そんな感覚があります。

私の今の身体の緊張感がひどいのは、第2、3、4チャクラにかけてであり、下腹部の胃腸から心臓・肺あたりのエリアの緊張が強いです。第2といえば創造性やクリエイティビティですし、第3は自分軸、自分の人生を創造するテーマ、第4はハートの本心や純粋さを司っているので、今の自分の問題とまさにぴったり一致しています(笑)。ハートの純粋な思いに従って生きることで、他人に振り回されない自分軸、自分の人生を確立していき、クリエイティビティを最大限発揮していく…そちらへ向かっていくためには、不要となった固定概念や頭の計算を手放していく必要があったということなのでしょうね。「他人受け」を狙うという他人軸的な考え方を手放して、ハートの純粋な気持ちに忠実に創造性を発揮していく人生を、自信を持って歩んでいきたいと思いました。

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