一日を笑う者は一日に泣く

当たり前の話で恐縮ですが、人生というのは一瞬一瞬の積み重ねである一日一日の積み重ねでしかなく、「今日寝て明日から人生が変わる」みたいに急激な変化が起こるということはないのだなぁということを実感しています。仮に○○のコンテストでグランプリになったその日から人生が変わった、みたいなことがあったとしても、グランプリになる間に様々な意識や状況の変化があったでしょうから、日々の意識の変化が目に見えて現実化した瞬間というのがたまたまグランプリを取った日、ということになるだけでしょう。「一銭を笑う者は一銭に泣く」ということわざがありますが、「一日を笑う者は一日に泣く」とも言えるのではないかと思います。

健康の例えがわかりやすいかもしれません。ファストフードや牛丼チェーン、コンビニ弁当しか食べない3日間を過ごした人と、毎日健康に気を遣った食事を心がけて3日間を過ごした人では、多少の違いはあるものの、人生を変えるほどの差はないと思います。それが一週間、一か月、半年、一年と続いた場合は大きな差になっていて、おそらく前者はしょっちゅう風邪を引いたり病気がちになっているでしょう。それくらい日々の生活習慣というのは、その継続時間が長いほど、良くも悪くも大きな効力を持つものなので、一日一日を疎かにしてはいけないなぁと気を引き締める思いです。たかが一日、されど一日。日々の習慣の積み重ねが私たちにもたらす影響は計り知れないのです。

一日一日の変化はわずかなので、昨日と今日を振り返ってもあまり変わらないなぁと思うのですが、一か月前、三か月前の自分を振り返ってみると、随分と変わってきたなぁと思います。特に私の場合は日々思ったことをこうしてオープンにnoteに書いているので、客観的にも変化が見て取れると思います。それもこれも、日々自分を見つめ直し内観してきたことの表れだと思いますし、やりたくない仕事に追われる毎日であれば、ここまでの変化はなかっただろうと思います。日常をこなすだけで精いっぱいの状況では、なかなか変化の加速度は上がっていかないものですからね。

何度も書いている通り、変化というのはまず意識からで、それから徐々に行動が変わり、現実が変わるという順番で起こります。棚ぼた的に幸運が舞い込むのではなく、まずは意識が変わり、エネルギーを流す方向が変わっていくからこそ、どんどん意図した方に現実が動いていくということです。ですから、たとえば今の仕事がものすごく嫌でストレスフルでどうしようもない、という人がいたとして、そのままの状態で意識を変えずにいれば、その意識を投影した現実を体験することになり、仮にもうここから絶対に抜け出して自分の人生を生きてやる!と決意して意識が変われば、現実もその方向に動いていくわけですよね。今日決意して明日辞表を出す、という極端な流れはなくとも、新しく決めたことに対して、一日一日を大切に過ごしていくことを繰り返していくうちに、一か月後には転職先が見つかるとか、新たなご縁がつながるとかそういう現実がだんだん起こってくるということです。

決めるとか意識を変えるということはすべて本人次第なので、「○○したら」じゃなくて今できることです。決めた日からの3日間とだらだら過ごす3日間では大きな違いはないかもしれませんが…以下は書くまでもないことです。一日一日、一瞬一瞬を大切にするような意識づけができると、漫然と過ごしていた日々はなんだったんだろう?と思うこともあるかもしれません。一瞬一瞬の「今」を精いっぱい生きられるようになれば、自然と「今」生きていることに感謝の念が湧いてくるものです。それは、何かの自己啓発本に書いてあった受け売りではなく、自発的に湧き起ってくる感情で、本当に「今」しかないんだなぁと強く実感する瞬間でもあります。

「一日を笑う者は一日に泣く」。明日を迎えられない命もたくさんあることを思うと、「今」こうして生きているなら自分の人生を精いっぱい生きたいと思いませんか?たかが一日、されど一日。日々の変化は小さくて、嘆きたくなる日もあるし、大きな変化がない毎日に嫌気がさすこともある。それでも人生というのはそんな些細な一日の繰り返しでしかありません。この気づきを胸に、今まで以上に「今」を「一日」を大切に味わいながら生きていこうと決意しました。

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