専業主婦への風当たりが強まるという謎

子育ての話題はいくらでも書くことができるので、今回も前回の目指すのは「働かなくても子育てしやすい」社会の続きのような話を書こうと思います。共働きの増加とともに、「働きながら子育てするのが当たり前」的な風潮が生まれ、メディアも過剰に待機児童問題を「問題」としてあおり、「働きながら子育てできる社会を目指す」のが良いと洗脳しています。そんな社会変化に伴い、専業主婦への風当たりが強くなってきているように感じていて、専業主婦の社会的な地位というか評価が著しく下がっているような感覚を受けます。

私が子どもの頃(25年くらい前)はまだ専業主婦の方が多くて、私の家のような共働きは少数派でした。私は当時、小学校の友達と遊んだりする時に、友達の家にはお母さんがいつもいていいなぁと思っていました。親が共働きだったという友人と大人になってから話してみても、お母さんがいつも家にいてくれるおうちはうらやましかったよね、と言っていたので、多くの子どもがそう感じていたことと思います。当時は専業主婦への風当たりがそんなに強くなかったと思うし、多数派だったので特に何の問題も生じていなかったように思います。

今は「女性の社会進出論」がさかんになり、ねじまがった男女平等論が広まってしまったため、「女性もキャリアを!」とか「女性も社会でキラキラ輝く!」みたいなスローガン(?)的なものが受けるような時代だと思います。私は以前に有無を言わせぬ「女性の社会進出論」への疑問という記事を書いたことがありますが、これは本当に良くない思想だと思っています。世間で言われている「女性の社会進出論」は単純に男性社会に女性を適応させようという施策であり、かなり無理がある内容です。「一億総活躍社会」の方がまだわかります。世間的な「活躍」というのは意味が非常に狭く、要するに「他人に評価されること」を目指している気がするのですが、家庭内で育児・家事に専念するというのも素晴らしい「活躍」に変わりありません。ただ、それは「当たり前」と言われ(実際はそんなことない)、「他人からの評価」は得づらいです。だからこそ、風当たりが強いように感じるのだと思います。

私たちはとにかく「他人からの評価」が欲しくて仕方がなく、そのために生きているようなところがあるのでしょうね。現代は特にインターネットやSNSが発達していて、誰しもがわかりやすい「他人からの評価」にさらされるようになったので、その傾向が顕著のように思います。専業主婦であっても、「他人からの評価」が得られるように生きないと!という謎の切迫感に襲われて生きている方も多いのかもしれません。本当はだんなさんの収入だけで十分やっていけるけれど、「他人からの評価」のために(専業主婦は風当たりが強いから)共働きを選ぶ人も実は多いと思います。「仕事と子育てを両立するのが良いこと(=他人からの評価が得られる)」という思想に洗脳されている人がたくさんいるのでしょうね。

以前から書いているように、私たちは大衆意識や世の中の流れ、思想といったものに非常に影響を受けていて、時にまっとうな考え方ができなくなってしまいます。「○○するのが当たり前」「○○はいまいち」的な概念が広まってしまうと、それに沿った「他人からの評価」が得られるような生き方を自然と選択してしまうものです。心のどこかで違和感を感じていても、「みんながそうだから」「それが当たり前っぽいから」みたいな理由で同じように生きてしまうんですね。結局は「他人からの評価」を気にする心が様々な問題を生んでいるんでしょうね。私はこのご時世に専業主婦で家事・育児に専念されている方を尊敬しています。「社会で活躍しなくては…」などと思わず、お子さんをしっかり見てあげて、愛情を注いであげてほしいです。社会でわかりやすく評価されなくても、お子さんにとって本当に心が安らぐ絶対的な存在が「お母さん」であり、その務めを果たすことが素晴らしい「活躍」なのだと思います。

6月17日(土)オフ会やります~→オフ会・イベント情報

note過去記事一覧はこちら

ホリスティックな健康をサポートするGreen Cosmoのページはこちら

「note見た」で友達申請→村上遥のFacebook

Twitter再開しました!→Twitter

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?