「弱点」を「才能」に変換して生きる

実は昨日の早朝から弾丸で一泊旅行に出かけており、先ほど帰宅したところです。今回は飛行機で熊本空港まで行って、宮崎の神社巡りをしてきました。移動が少ない人生で、何もなければずっと東京にいる生活なので、たまにはこうして旅行して自然の空気を吸ってリフレッシュするというのは必要な経験だと改めて感じましたね。ずっといると無自覚ですが、東京にいると刺激や音も多いし、空気も悪いし、人も多いしで、知らず知らず相当なストレスを抱えているんですよね。生きるだけでストレスフル。

とはいえ、私は旅行というものがあまり好きな方ではなく、暇さえあれば、お金さえあれば旅行に行く!という人もたくさんいらっしゃると思うのですが、私は体力がないのであまりどこにも行きたくないタイプです。どこでもドアがあれば良いのですが、やっぱり移動が苦手なんですよね。いつもと違う環境にもすごく敏感でストレスを感じますし、旅行に行って癒される面、リフレッシュできる面もありつつ、疲れや消耗も激しいので、両者をてんびんにかけて、体力的に行けると思えば行く、という感じで今まで生きてきました。アメリカとかヨーロッパとか遠いところも、行きたいと思うけれど行動には移さないですし、私にとってはすごい覚悟がいる決断です(笑)。それくらい苦手意識アリなんですよね。

このnoteにもいつか書いたかもしれませんが、私は長いことお腹の調子が悪い人生を送っており、ストレスや緊張はすぐにお腹の不調となって表れるんですね。それでも自分で勉強したり食生活も変えたりして最近は本当に良くなっていて、お腹のことを考えずに日常生活が送れているので、これって以前から見たら本当に奇跡なんですけど、何かあるとやっぱり一番弱いのはお腹。今回もちょっと調子が悪くなってしまって、環境の変化や緊張に弱いことを再認識しました。まぁ不調がすぐにその場でリリースされるのでありがたいことなんですけど、病気ではないけど日常生活が苦しいので、いつも弱気で憂鬱になりがちですね。

そんな生活が長かったからか、トイレに行きたいときにすぐに行けないことへの恐怖感というのはすごく身体にしみついていて、長距離での車移動とか結構嫌なんですよね。電車(新幹線)ならトイレあるから安心なんですけど、車は何もない山道や渋滞など心配が大きいです。そんなこともあって、旅行とか移動への苦手意識があるんだろうなと気づきました。よっぽどお腹の調子が悪いことが人生に制限を与えていたのだなと思い、今までよく頑張ったねとお腹をなでなでしてあげました。セルフヒーリングですね。

体力のなさやお腹の弱さを感じるたびに、もっと体力があればとかもっとお腹が丈夫ならと他の人をうらやましがったり、自分を責めることが多い人生で、くよくようじうじして報われない人生だなと思うことも多かったのですが、体力がないからこそ過労するまで働けなかったり、無理をきかせないで温存することができたりするわけなので、その敏感さや脆弱さに守られていることもたくさんあるのだということも感じています。体力に無理のない範囲で旅行を楽しむこともできるし、身体に無理なく仕事する方法を模索することにエネルギーを注ぐこともできます。私は魂レベルでこの身体を選んで生まれてきたのだと思えば、他の人と比べて体力がない自分はダメだとか思う必要は全くないんですよね。体力勝負のことをするために生まれてきたわけではないのでしょう。

世の中で活躍している人はある程度体力がある人が多いように思うし、あまり強くない人は割とこもりがちで、バリバリ働けなかったり移動できない人も目立たない分かなりの数いらっしゃると思います。私は完全にそっち系なので、健康なのが当たり前で無理がきいて何日も徹夜できてフェスで最前列で踊れて…という人よりも、そういった方には寄り添えるだろうし、辛い気持ちもよくわかります。自分で言うのもなんですが、そういう方って周囲の状況に敏感で感受性が強く、気を遣う優しい方が多いように思いますので、その素晴らしい資質を発揮できずにいるのはもったいないですよね。ものは考えようで、「才能」と見るか「弱点」と見るかは完全に自分次第だったりします。自分の肉体を「弱点」と嘆くのではなく、体力がないなりに、虚弱敏感体質なりに、お役に立てることを模索して、より前向きに、建設的に生きようと改めて思いました。

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