「不倫」で見つめ直す貞操観念と嫉妬心

昨今の芸能界、有名人の人間関係のゴシップで最も世間を賑わせているのがこの「不倫」問題ですよね。数年前から毎日のように不倫関係のニュースが流れてきています。それしか報道することないのかな…と思ってしまうくらいです。大きな政治的ニュースを隠蔽したり、大事にしないために芸能ゴシップが使われるというのは常套手段として、それにしてもあまりに多すぎるように思います。当人同士の問題なのに、ここぞとばかりに批判する人もたくさんいます。

不倫や浮気の問題というのは、庶民の世界でもごく普通にありふれたことだと思います。とはいえ、自分にはしたこともされたこともありませんし、実際のところはよくわかっていない部分も大きいのですがね。恋人や配偶者がいるのに他の相手と関係を持ってしまったという場合、好きでもないのに欲に任せて一夜限り…という場合と、本当に相手のことを好きになってしまった本気の場合では、ちょっと状況が違うんだろうなと思うこともあります。自分がされたらどう思うかなと考えると、欲に任せて…という場合は、そんな欲をコントロールできない貞操観念の低い人を相手に選んでしまった自分が人を見る目がなかったと反省しますし、相手が別の人を本気で好きになってしまったという場合は、自分は身を引くしかないと思うだろうな、と想像します。「相手が悪い」と相手を責めたくなる気持ちはあると思いますが、それでは人間成長しないので、ある程度感情が落ち着いたら自分を見つめ直さないといけないなと思っています。

男性は、女性は、とひとくくりにするのは難しい部分もありますが、それでもやはり男性の方が性的関係と割り切ってそればかりを求める傾向はあると思っていて、男性は遊びのつもりでも女性は本気になってしまう、といったケースも多々あるように思います。男性が妻と別れるとか言い出したり、別れるって言ったのに別れないとかそれで揉めたりと、いかにもドロドロ人間ドラマみたいな現実は(自分が世間知らずで知らないだけで)結構あるのかもしれません。私自身は愛のない仮面夫婦生活を続けるのは不幸だろうと思うので、別の人に完全に気持ちが移ってしまったらその相手と幸せになってほしいなと心から思えるように、そのためにやっぱり大事なのは内面を磨いていくことだなとつくづく実感します。

相手が不倫や浮気をしたら嫉妬をしてしまうのがあまりに当たり前になっていて、嫉妬するほどに愛が深いという勘違いをする人も多いようです。でもやっぱりそれは本当の愛ではなくて、ただ自分の欲望や願望を投影しているだけの条件付けの愛で、相手の幸せを願うような気持ち、感覚ではないなと感じます。「不倫した人が悪い」「嫉妬するのが当たり前」という概念があまりにも浸透しすぎていて、何か問題が起きた時に、相手を責めるのではなく自分を見つめ直そうとする人はなかなかいないように思います。似たような人が惹きつけあうのだとすれば、貞操観念が低い人を相手に選んでしまった自分にも何か問題があると見るのがむしろ自然なのではないでしょうか。昨今はあまりにも不倫バッシングがひどくオーバーヒートしている印象で、責めればいい的なムードもありますが、それでは人間一生同じところをループするだけなので、なかなか心の平安が訪れることはないのかなと思います。

頭ではいけないことだとわかっていても、どうしても別の人を好きになってしまったりすることはあるのかもしれませんし、相手に本気になってしまうものを抑えることはできない場合もあるのかもしれません。それは自分には経験がないのでわからないことです。ただ、本当に相手のことを好きで、思い慕っていたとすれば、相手の幸せを願うのが当たり前で、そうできないとすればそれができない自分の方にも問題があると思えないといけないなと思っています。世間的に見たら変わった考え方かもしれませんし、きれいごとを言うなと突っ込まれそうですが(笑)、でも私は結構本気でそう思っています。恋愛・男女関係は、あらゆる人間関係の中でも最も感情が動いて、学びが大きいと感じます。心から相手の幸せを願えるような、そんな関係の相手と一生愛を育んでいけたらいいな、というのが私の人生の目標の一つです。

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