弱者切り捨てと命の選別

先日、「新型出生前診断」に関するネット記事を読んで、非常にモヤモヤしたものを感じたので記事を書いてみたいと思います。当該記事はこちらです。
ダウン症「みんな堕ろしているから自分も」陽性90%超が中絶…新型出生前診断の拡大がはらむ危険と怖さ
要約すると、一定の条件を満たした妊婦さんが受けられる染色体分析(「新型出生前診断」)で、胎児に異常が発見された場合、90%以上が人工中絶を選択したという記事です。この記事内でも優生思想を正当化する危険性が最後に少し綴られています。

この記事を見て何とも言えない気持ちになりました。日本はひどいレベルの弱者切り捨て、差別主義思想が蔓延しており、障がいを持ったお子さんを育てることも、障がいをお持ちの方が生きていくことも本当に困難な社会であり、過剰に「五体満足」の子どもを求めてしまうのはわからなくもない、と思う一方で、それでもそれはダメでしょうという気持ちもあり、生命倫理が議論されずに科学技術が発達していくことの恐ろしさも感じました。社会全体が「命の選別」をしているようなところがあり、「働かざる者食うべからず」「自己責任論」など、強者の視点に立った血も涙もないような言説が多く見られるのが、悲しいかな現代の日本の現状です。

「優生思想」と聞いてまず思い出すのは、ナチス・ドイツでしょう。ナチス・ドイツでは優生学思想に基づくT4作戦という安楽死施策を実施していました(ウィキペディア)。1940年前後に、障がい者や難病の患者などがその安楽死施策の犠牲になり、「生きるに値しない命の根絶」という思想のもとに、殺されてしまったそうです。読んでいても書いていても嫌な気分しかしないのですが、こんなことが公然と行われていた時代からまだ100年も経っていないんですね。今の日本もナチス・ドイツに近いと言われていますし、殺しはしないまでも同じような思想のもとに作られた社会だなと感じています。

障がいをお持ちの方が作業所などで働く際の賃金もあり得ないくらい低く抑えられており(月額13000円とか…)、不当に差別されています。2018年は障がい者雇用水増し問題なども明るみになりました。働こうにもひどい低賃金or門前払いとなってしまい、どうやっても経済的に豊かになれないようにさせられています。それは個人の自己責任ではなく、社会のしくみ、ひいては人々の意識の低さ、優生思想の問題だと考えています。支配者にとっては盲目な労働奴隷こそが必要なのであって、彼らにとって使えない社保の負担ともなる弱者はあっさり切り捨てるという、露骨で酷い社会だなと思います。

障がいがある、難病患者であるというだけで、これほど差別され、生きるのに困難を伴う社会であれば、胎児に異常が見られて泣く泣く中絶を選ぶ親の気持ちもわからなくはない…と思うのですが、かといってこのままでいいということは絶対になく、障がいがあろうが病気だろうが子育て中だろうが失業中だろうが、どんな人でも安心して暮らせる社会に向かっていく必要があることに間違いはありません。こういった記事を機にでも、社会のあり方について考えてみるのは有意義だなと感じます。

生まれる前からどんな子であるかわかるようになる、命を選別する、こういった技術や考えが進んでいくと、いずれはデザイナーベビーや精子バンクといった、より良い遺伝子を求める思想に繋がっていくのではないかということも懸念しています。イケメンで頭脳明晰の男性の精子が高値で取引される未来はそう遠くないのかもしれません。そうなると「人間の本質」って何なんだろう、と思ってしまいます。私は人間は心の清らかさが重要と考えていますが、今の社会では才能・能力・容姿などが重視され、「心」「内面」がどうかというのは非常に軽視されているように感じます。「命の選別」思想も、そういった「心」「内面」の軽視が反映されたものだなと思います。この「優生思想」が人間の心のあり方の中で最も害悪と考えており、まずは自分の内面から改革に取り込んでいる最中です。

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