感情論・立場論から全体意識へ

先日、前の職場の友人たちと会って、独女アラサー”タラレバ的”おしゃべりに花を咲かせて楽しんでいました。かつての自分がそうであったように、やはり公務員の内部の組織の状況については思うところがあるようで、自分も内情をよく知っているからこそ「そうだよね、そういう問題あるよね」と話を聞いていました。組織は同じこと何年繰り返しているのだろう?という記事にも書いたように、内部での議論やプロジェクトがちっとも進まないんですよね(笑)。それってなんでだろう?ということにまた思いを馳せてみました。

公務員の仕事は法律に縛られているから、さぞきちっとしていてシステマチックに業務が進んでいるのだろう…というのは大きな誤解で、曖昧になっている部分がかなりありました。そのあいまいな部分をどうするのかを決めるような議論やプロジェクトがあり、関係各課が集まって会議をする…というのがお決まりのやり方です。そういった場でいつも疑問に思っていたのは、なぜ「感情論」や「立場論」で話をしてしまうんだろう?ということ。「うちの課はただでさえ○○業務で大変、だから△△は受けられない」とか、「うちの課は○○業務の予算しかないから、△△はできない」とか…。いったん感情とか自分の立場とか抜きにして、全体としてどうあれば一番スムーズで理にかなっているかということを考えればいいのに、なんで大人たちは押し付け合ってるんだろう?とクールに見つめる20代前半の日々でしたね(笑)。当時は発言権がないので悶々としていました。

2年とか3年で別の課に人事異動して相手の立場になる可能性もかなりあるのに、今の自分の立場からしか発言しないというのはどういうことなのかなと純粋に疑問で、そういう人が一部ならまだしも、みんながみんなそういう意識で発言しているのに驚きました。自分さえよければいい?今の自分の課の業務が増えなければいい?そうして大事なことがあいまいなまま、いたずらに月日がだけが流れ、問題が起こると末端のヒラ職員が事務処理に追われるのですよね。任期が短いこともあって、全体的に責任感が薄いのですよね。

このことは狭い組織の話だけではなく、私たちの日々の生き方にも大きくかかわる問題です。自分さえよければいい、自分の代で何も起こらなければいい、自分の立場が危うくならなければいい、自分さえ儲かれば他人を蹴落としてもいい…そんな意識を持っている方は多いことでしょう。私にもそんなエゴのささやきはまだまだあります。それでも共同創造の時代の到来とともに人々の意識が変容し、全体意識に向かっていっているので、ますますエゴバリバリの「自分さえよければいい」論は通用しなくなってくるでしょうね。昨日の「サステナブル」「循環」がとにかく肝という記事にも書いたように、全体がうまく循環し、持続可能であるような方向性を意識するのはやはり大切だなと感じます。感情論や立場論を抜きにフラットな視点で物事を見つめ、一番スムーズで合理的なやり方をみんなで話し合って決める…そんなに難しいことかな?と思いますが、エゴが強いとなかなか受け入れられないこともあるかもしれませんね。

「朱に交われば赤くなる」とはよく言ったもので、その意識が脈々と受け継がれる組織においては、自分自身はおかしいと思っていても一人ではどうすることもできないものなんですよね。下手に真面目に考えてしまう私のような人ははみ出し者になってしまうわけです(笑)。私の感覚では、やはり若い人の方が「おかしい」と感じている人が多いように思います。真っ当な感覚を持つ若い方の能力、才能が開花されずに終わってしまうのは宇宙レベルでもったいないことです。意識が合わない環境にいることほど苦痛なことはなく、苦しみながら仕事をしていると「心身の健康」を損ねます。2018年からの共同創造の大きな流れに対応するためにも、はみ出し者になる選択肢を検討してみても良いのかもしれません。

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