「こうじゃなきゃダメ」と思わなくなった

今日は午前中から出かけようと思っていたのですが、天気が悪いということと身体が重かったので別の日に延期することにしました。それで何をしていたかと言うと、ほぼ家で爆睡(笑)。頭であれこれ思考することができなくなり、これは寝るしかない!ということですやすや寝ておりました。たまにあるんですよね、思考が働かなくなる時が。おそらく今年も6月くらいにそんな時期があったと思います。きっと脳内の何かの機能が変化しているのでしょう(スピ的な感じの)。

この頭が働かなくなる時期って、あらゆることが良い意味でどうでもよくなる傾向にあり、「○○でも○○じゃなくてもどっちでもいいや」と、こだわりや執着が消えるのを感じることがあります。ライターになりたいと思ってたけど、まぁならなくてもいいや、セラピストになってもいいし…とにかく流れに任せよう…みたいな感じです。あとは情報を遮断したくなるので、あれだけ毎日音楽を聴く習慣があるのに今日は無音ですし、FBもあまり開きません。静かに感覚を研ぎ澄ませたいのでしょうね。おそらく、目に見えない部分で何かの情報をキャッチしていたりして、いつも以上に敏感になっているのだと思います。

しーんとした部屋にいてぼーっとしていると、いかにいつも音や文字などの情報の中にいたか、心を静かに落ち着かせる瞬間がなかったかということに気づきます。瞑想をする習慣はありますが、そんなに長い時間静かでいることは稀ですし、思考が活発な時はあれやこれや雑念が浮かぶことも多いです。今日の記事をお読みいただいてもわかると思うのですが、思考できないので感覚的なことや感じたことがメインの内容になり、いつもの切れ味が全然ありませんよね(笑)。普段頭を働かせていることが多いので、たまには休む時間が必要なのでしょう。

「こうじゃなきゃダメ」という思考は、エゴバリバリですし、いわゆる執着ですね。「こうじゃない自分は愛されない」、つまりは条件付けの愛ですね。まぁそれが悪いということではありませんが、こだわりが強すぎるとそれはそれで辛いことが多いです。ライターになりたいと思ってなれそうにない状況になったとしても、その代わりに別の仕事をもらえるとか思ってもないチャンスがもたらされるとか色んな可能性があるわけなので、まぁあんまり固執せずに流されるままに、なるようになるさという精神で日々を過ごしていければいいのかなと思っています。大いなる宇宙の流れに身を任せよう、とは私もよく言っていることですが、過剰なこだわりや執着をなくすことがその第一歩になると感じています。

こだわりや執着をなくすことはなげやりに生きることではないですし、むしろ究極の自己受容だなと感じますね。いつも書いている「無条件の愛」そのものです。今現在はとても脱力してリラックスしているので身体も楽です(寝すぎて痛い部分はありますが(笑))。自分がどんな自分でも受け入れられるようになって、楽にいられるようになれば、周囲の人にも必ず影響します。自分に厳しい人(こだわりや執着が強い)が周囲にいると、ピリピリして生きづらいことってありますよね。その反対で、深く自己受容している人が近くにいれば、周りの人も緊張感なく、リラックスしてのびのびできるようになります。自分が深く自己受容していれば、人間関係で悩むことはそんなにないはずなのです。

結局、外の世界は内面の写し鏡なので、すべては自分の在り方次第なんですね。自分を「こうじゃなきゃダメ」と縛ると、相手のことも「こうじゃないあなたはダメ」と縛ることになる。それは本当に面白いくらい鏡になっています。普段はさておき、今のぽやぽや状態の私は自分も相手も責めようという気持ちは全くありませんし、何かが起きた時に「○○のせい」と自分以外の外の世界のせいにするという思考パターンは完全に手放しています。我慢とか苦行とか犠牲とか、そういう自分を苦しめるパターンも今はありませんね。「こうじゃなきゃダメ」を手放していくと、自分も相手も楽になる。そんなことを実感する今日この頃です。

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