AI(人工知能)セミナーで感じたこと

昨日は「丸の内・触れる地球ミュージアム」という東京駅の行幸通りで開催されている特別企画&「未開の未来 AIとの共進化 ”心”の次の時代 ゲスト:児玉哲彦氏」というセミナーに参加してきました。先週、自然や地球と一体化する感覚を取り戻すの記事に書いたジョセフ・コーネルさんと文化人類学者、竹村真一先生のイベントに行ったときに、竹村先生が主宰されている「触れる地球ミュージアム」のご紹介があり、それで興味を持ってちょうどAIのセミナーがあるということで参加してきたんですね。私はIT脳がなく、大学で文化人類学をかじっていたバリバリ文学・哲学脳なのですが、私のようなAI初心者でも楽しめる内容でした。内容の整理を兼ねてシェアしたいと思います。

児玉先生は『人工知能は人間を滅ぼすのか?』という本の著者の方で、AI界の第一線でご活躍されている方です。文化人類学者の竹村先生との共同セミナーということで、どのような内容になるかなと思っていたのですが、竹村先生が開口一番「宗教は心のOS」とおっしゃったり、児玉先生もSiriにタイマーセットをお願いしたりと、しょっぱなから楽しませて頂きました。お話を伺って学んだことはたくさんありますが、キリスト教とIT革新の関係や、AIが得意なことと人間が得意なこと、最後まで人間の仕事として残りそうなことなど、専門家の方の貴重なお話から、見えてくるものはありました。そして、今この時代というのはAIとの共生を考える上での重要な時期であり、何も決まっていないからこそ、あらゆる可能性を模索できる局面にあるのだなぁという認識も得ることができました。

このIT革命を牽引するのは欧米で、日本とは投資額が全然桁違いなのだそうです。欧米は根本にキリスト教の思想が根付いており、ITの進歩とキリスト教的思想というのは切っても切れない関係にあるようです。キリスト教は砂漠の宗教とも言われますが、絶対神、一神教の世界観です。近代ルネサンスの時代に「絶対神」的な考えに一石を投じたのが科学技術だったように、現代において「絶対神」にとってかわるものとしてAIが出現した、と見ることもできるようです。AIは莫大なデータを処理することが得意なので、何らかの意思決定の際に、それがデータに基づいた決定がベストである場合、人間ではなくAIが意思決定する可能性もあると。機械の意思決定に人間が従う?そんな未来も十分あり得るそうです。「神の御心」ならぬ「AIの御心」みたいなことになるということです。

AIが得意なのは情報処理的な仕事なので、資産運用、保険、医療、弁護士、教育、キャリアなど、データをもとにピックアップするとかマッチングするみたいな作業はAIに取って代わられる可能性が高いようです。今まで高給取りとされてきた頭脳労働がAIに取って代わられるかも、というのは興味深い話です。それで、最後まで残りそうなのが「身体性」で、肉体労働系、今は低賃金と言われている介護、保育などの福祉系の仕事はAIには難しいみたいです。以前介護ロボットがどうの、という話もありましたが、人や動物など広く生き物のお世話をするような仕事は、どうしてもきめ細やかな対応が必要なのと、身体があることが重要なので、いつまでも残るようです。同じ肉体労働でも、調理とか販売といった仕事はまだAI向きという気がします。セルフレジとか導入されているところもありますしね。

人間に残された仕事として大きいものは「デザイン」だそうです。これは、一般的なデザインの意味もそうでしょうし、もっと大きな枠組みとしての「デザイン」、つまりは「統合」や「異文化の組み合わせ」といったことを指します。一般的な「デザイン」で言うと、Macの例が挙げられていましたが、(主に大衆が触れる)デザインというのは「主観的」なものが良いのだそうで、アップルのような一人の絶対的カリスマからのトップダウン的な主観デザインの方がうまくいくと。極端に言えばAIがデータをこねくり回して作ったものより、一人のカリスマ人間のデザインの方が良いみたいです。「統合」という意味での「デザイン」で言うと、AIは定められた範囲の中での情報処理力は凄まじいのですが、別のものと別のものを組み合わせて新しい価値を生み出すことは苦手みたいなのですね。全体性、ホリスティックな視点というのでしょうか。「お気に入りの組み合わせ」が新しい価値を生むという記事にも書きましたが、異質なものを組み合わせて新しい価値を生むというのは、これからの時代に必要な観点だなというのは改めて感じました。それは人間にしかできないことなんですよね。

自分にしかできないことをやる「人間にしかできないこと」の価値は高まるの記事にも書きましたが、この時代のこの日本に生まれてきたこの自分というものの「個」を輝かせるような生き方というものに、一人一人が真剣に向き合っていく必要があると感じています。この5年くらいでスマホが急速に普及したことを考えても、もたもたしているとあっという間にAIが普及してくると思いますし、生活様式や働き方も大きく変わる転換期が訪れるような気がしています。なんかまだまだ思ったことを出しきれていない感じなので(笑)、また次回かその次にでも何か思うところを書いてみます。

それでも最後に思うのは、これだけITの技術革新が進んでも、私たちは雨が降ったら傘を差す(そして濡れる)という超アナログなことくらいしかできないというのが面白くて、大自然の前に人間は無力だなということも同時に感じるのです。AIに意思決定権を明け渡し、大自然の猛威にはまるで歯が立たない人間の無力さ。その自覚を持ったうえで、AIが得意なことは代わりにやってもらい、人間は人間ならではの営みを続けながら、大自然に感謝し大いなる恵みを頂き共存していく、そんな姿勢が大切なんじゃないかなと思いました。

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