「共鳴=レゾナンス」、そこで何が起きているのか?

昨日は「レゾナンスカフェ」(リンク)というイベントにお邪魔し、「共鳴=レゾナンス」についての考察を深めました。以前に「感情不感症」を克服したいの記事でご紹介したPrayers Studioさん(リンク)という劇団のお芝居を観劇した後、「共鳴=レゾナンス」についてみんなで語り合うという、マニアックだけど非常に面白いイベントです。皆さん感じられたことはそれぞれ違っていて、「そんな見方もあるのか」という気づきも得られましたし、日ごろ言語化できていなかったことへの理解も深めることができた素晴らしい会でした。

気づいたことを忘れないうちに書いておきます。まず、お芝居を観た時に「感情移入」したり、感情が揺れ動いて涙したりすることはよくあると思うのですが、それを「共鳴」と感じる人もいれば、感じない人もいるし、Aさんはある部分ですごく「共鳴」したと感じたけれど、Bさんはその部分より別のシーンの方が「共鳴」した、と感じることもありますよね。それって面白いな、と単純に思うし、その差は何かということや、「共鳴」して「涙」したときに、いったい何が起きているのか?ということにも興味があります。私は自然療法やヒーリングの勉強をしていることもあって、「癒し」というテーマには非常に興味があるのですが、「共鳴」して「涙」する時、そこには何らかの「癒し」が起きていると私には感じられるんですね。それは、個人的なレベルかもしれないし、集合無意識的な癒しかもしれないし、同時に両方が癒されているのかもしれません。

ある方がシェアしてくださった話で、あるお芝居を観た時に「共通の父親像」というものに観客が「共鳴」して涙するという体験をした、という話がありました。また、お笑いなどで「あるあるネタ」というのが受けるように、人々に共通する普遍的な、しかし言語化されていない感覚というものは無数に存在していて、それが言語化され、意識化された時に湧き上がる感覚というのは「共鳴」の謎を紐解く大きなヒントであると感じています。それは集合無意識とも言えるかもしれないし、「アーキタイプ」、すなわちある集団に共通する「○○像」「○○はこうあるべきという価値観」にも関係があるでしょうし、太古から脈々と受け継がれたDNA的なものの影響も無視できないと思います。いろんな要素が絡み合っての「共鳴」現象であって、一概にこうですとは言えないものなのだろうなと感じます。

これは以前から感じていたことですが、私たちは知らず知らずのうちに「言語」の縛りを非常に受けていて、無数の微細なエネルギーがあるにもかかわらず、一つの単語レベルでしかそれを表現することができない場面は多々あります。また、人間関係においても、エネルギーレベルと言語レベルでのコミュニケーションがあると感じており、気持ちと言葉や態度が裏腹な人がコミュニケーションで壁を感じる理由はそこにあると思っています。エネルギーレベルではこう思ってそうなのに、言葉や態度では逆だ、と感じると、それがコミュニケーションの軋轢を生じさせてしまう。言語でのコミュニケーションを重視するあまり、ある種の「超感覚」への可能性を閉ざしてしまい、言語ありきのコミュニケーションをしてしまっているということ。私たちはエネルギーレベルでもコミュニケーションをしているのだ、ということに心を開いているか閉じているかによって、現実世界で私たちの体験するコミュニケーションというのは違ったものになってくるでしょうね。

私たちは感情を表す言語、語彙をいくつ持っているでしょうか?「怒り」「悲しみ」「喜び」「恨み」「羨望」「蔑み」「悔しさ」…などなど、感情を表す言葉はたくさんあります。通っている自然医学の講座で「感情」をテーマに取り扱った際にも、私たちが持っている感情の言語を棚卸するワークがあるという話を聞きました。その時実際にそのワークをやるには至らなかったのですが、是非やってみたいと感じました。やはり、その語彙が多ければ多いほど、微細なエネルギーを察知するセンサーが研ぎ澄まされているということになりますし、他者とのコミュニケーションの上でも、相手の多種多様な感覚、感情を共有する、共感する手助けになるだろうと思ったからです。それは私たちの心の豊かさや人生の充実感にもつながると感じます。私たちが地球に生まれてこうして三次元の世界を体験する目的の一つが、「感情」を味わうということであり、どんな感情も私たちにとっては尊いものなんですね。

演劇ひとつからここまでの深い考察が得られるなんて、この劇団さんと出会うまではわかりませんでした。物事は本当に見方ひとつでこんなにも変わってしまうのだということ。イベントの「場」も、そのイベントのテーマや内容に「共鳴」した方が集まっているからこそ成り立つ独特の空気感があります。結局のところ、「ビジョン」や「意識」に人は集まっているの記事にも書きましたが、それもつまりは「共鳴」現象です。文字や画像など様々な情報からエネルギーをキャッチして、「共鳴」するからこそ人は集まる。意識化、言語化されていない領域にもっと踏み込んでいきたい気持ちです。日ごろ意識化されていない感覚や感情、行動にもっと意識的になり、日々湧き起こる「共鳴」現象にもっともっと気づけるようになることで、より人生を充実したものにしたいなと感じました。

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