災害時に感じる「物言わぬ人間」を量産する教育への疑問

更新がだいぶ空いてしまいました。前回の更新から今日まで、甚大な被害となってしまった豪雨災害について、報道やSNSなどを見聞きしながら色々と思案する日々が続いています。災害が起きているまさにその時の政府関係者の行動、その他政府の対応に対する批判の声が多数上がっていて、「これでも今の政権を支持する人は本当に頭がおかしいのではないか」と思う毎日でした。災害自体も国難ですが、今の政権こそ本当の国難だという気持ちが日に日に増してきています。

被災地を取材するテレビを観ていた時、親が「日本人はこういう時でも感情的にならず、マナーもよく、働くのは偉い」みたいなことを言っていて(地震の時なども海外に褒められるとかいうあれです)、思わず「それは確かにそうだ。だけど、政府の対応の悪さは責められて当然だし、総理が訪問してきたら石投げるくらいが真っ当なんじゃないか」と言い返してしまいました。日本人はおとなしく我慢強い、忍耐強い国民性だとよく言われていますが、これは本当に支配層には都合が良いことで、また他人の目を気にする同調圧力が強いのも相まって、一般の日本人はどんどん奴隷化・貧困化が進んでいるように思われます。素直で従順なのは悪いことではないのですが、もう少し権力に対して反抗的でもいいのではないかと思ってしまいます。もちろん意見している人もたくさんいるでしょうが、それを報じないマスコミにも大きな問題があると感じています。

災害の支援のために募金やボランティアを募ると、たくさんのお金や人が集まるし(足りるかはさておき)、一般の警察、消防、自衛隊等の方々も、みなさん身を粉にして働かれていて、本当の意味で日本を支えているのはこういった善良な市民の方々なのだなと頭が下がる思いがします。奴隷化・貧困化政策により、その日暮らすのがやっとという人がたくさんいる中、それでもなけなしのお金を募金された方もいると思います。それは素晴らしいことなのですが、本来こういった誰が悪いのでもない災害時こそ、国がしっかりと支援をすべきなのであって、一般市民の善意に頼るものではありません。

「権力にたてつくな、目上の者に逆らうな」という思想は、親や学校での教育により私たちに深く深く浸透していて、「物言わぬ人間=素晴らしい人」と洗脳されています。日本人のおとなしさ、我慢強さというのは、もともとの素質プラス教育の賜物であり、いかに支配層にとって都合の良い教育を施されてきたかというのがよくわかります。私達は幼い頃からつまらない勉強をさせられ、テストで点数を比較され、無意味な受験勉強に疑問を持たずにひたむきにやれる人間が「努力の証」としていい大学に入り、大企業に就職し、高給と伴侶を得られる…というシステムに組み込まれてきました。受験勉強はつまらない勉強に耐える我慢強さ、忍耐力のテストとして機能しているのかもしれません。そういった「優秀な」人間のトップが官僚になり、政治家のもとで不正を行うというのが今の社会です。

日本人はこのまま権力にやられっぱなしで良いのでしょうか?支配層はやりたい放題、一般市民はひたすら我慢。災害のことだけではなく、働き方にしても何にしてもそうですが、さすがにもう少し声をあげていった方が良いのではないでしょうか?そうでないと、本当に日本は滅んでしまうと思います。声をあげるにしても矛先を間違えないことが大切で、現場で真摯に働いている方や社会的弱者を責めるのは間違っています。責めるべきは富と権力を持つ者です。「持つ者」は社会全体に対する責任も「持つ者」ですからね。長きに渡る教育の洗脳から脱して、「言うべきことは言える人」を多数派にしていく必要があると痛感しています。

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