「好き」と才能と継続の3要素

先日、仲の良い友人が所属するアマチュアオケの公演があるということで誘っていただき、演奏を聴きに行ってきました。オケを聴くと高校時代を思い出します。noteにも書いたことがありますが、私は高校時代に音楽部でオーケストラに所属しており、それまで全く触ったことのないバイオリンのパートを担当していたという過去があります。結局バイオリンをやっていたのは引退するまでの1年半くらいの間だけで、その後は一切弾いていませんし、クラシックにどっぷり浸るようなこともありませんでした。中にはその時同じ15歳で楽器を始め、その世界にはまってずっとクラシックやオーケストラを楽しんでいる方もいるようです。私はその頃ジャニーズが好きでしたし、今もご存知の通り邦楽ロックが好きです。楽器の演奏よりも歌う方が好きで、ボイトレに通ったこともありました。

友人のオケの演奏を聴いて思ったのは、もし15歳からバイオリンに目覚めて本格的に習って練習を続けていたら、30歳で15年続けたことになっていたんだな、相当うまくなったろうな、ということ。15歳当時でもすでに何年も習っている経験者の子たちがいたので、遅れを取っている感や追いつけない感がすごくあったんです。バイオリンを15歳で始めるって結構遅いと思ってました。定番の習い事ですしね。それでももしバイオリンを弾くのが好きだったら、15歳からだろうがなんだろうが本格的に始めていただろうと思います。そして30歳になって社会人オケなどで活躍しているパラレルワールドも確実にあったはずです。今もちろん後悔はないし、そもそもの才能や好きなことの方向性とは違ったなと自覚しています。

10年間続けたいことって何だろう?という記事にも続けることについて書いています。やはり、「好きなことでなければ続かない」というのが大前提ですし、「続けられるだけで適性がある」とも言えると思うんです。持って生まれた才能とか資質というのは確実にありますし、いくらやっても追いつけない領域の人って絶対にいます。しかし、自然に生きていて自分の才能や資質とまるっきり関係ない方向性には進まないもので、全くもって才能のないことを好きになって続けるということはありえないだろうとも思うんですよね。才能があることは好きになる傾向が強いし、好きだから続けられるはずです。私は運動嫌いですが、実は運動の才能があって、幼少期から指導を受けていたらスポーツ選手になれてたかと言えば、そのパラレルワールドはないと思うんですよ(笑)。

ある程度の方向性が定まれば、あとはどれだけ練習できるか、継続できるかの勝負なのではないかなと思いますね。好きで才能のある人はいっぱいいるから、その中で際立つためには練習と継続あるのみです。最近ハマっているアニメ『3月のライオン』は将棋をテーマにした人間ドラマなのですが、その中で印象に残っているシーンがあります。

(ネタバレ注意)主人公の高校生プロ棋士桐山が、酒乱と噂されるある対戦相手との対局で勝利した際、相手に八つ当たりのようなことをされてしまうことがありました。桐山は「自分が弱くて負けたくせに俺に当たるな!お前が酒を飲んでいる間こっちは努力してるんだ!将棋にすべてをかけているんだー!(意訳)」と一人泣き叫ぶのです。勝つためにどれだけの時間をかけて勉強したり練習したりしていると思っているのだ、と、心の内を叫ぶシーンが印象的なのです。悔しかったらもっと勉強したり練習したりしろよ!と…。

私はこの気持ちよくわかるなと思ってしまいました。私は努力礼賛主義ではないつもりですが、やはり根底にはそういう意識がまだあるなと感じます。その世界のプロとしてやっていくって並大抵のことではないですし、一朝一夕というわけにはいきません。いきなり結果を出すことはできないし、すぐに結果を出そうとするとズルしたりグレーなことをしてしまうことになる、というのはいつも書いていることですね。世のいかにも賢そうな人がビジネスのテクニックだのなんだのと語っていますが、究極的には「原因と結果の法則」そして「継続は力なり」、それに尽きますよね。下手にショートカットしようとすると、かえって損をしたり遠回りになったりすることうけあいです。好きで才能のあることは続けられる、それを芽が出るまで継続すること。「基本で極意」それだけを実践し続ければ間違いがないと確信しています。

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