人を職業、資格、学歴で判断するかわりに

みんな当たり前のようにわかっているようで意外とできていないのが、「人を職業、資格、学歴などの肩書で判断しない」ということ。同じ職業でもあたたかく真面目で誠実な人もいれば、人の道に反するようなことを平気で出来るような人もいるし、高学歴でも謙虚でおごらず人間的に素晴らしい人もいれば、調子に乗って人を見下すような人もいます。人の外面的・形式的な職業や肩書といったものは全くと言っていいほどあてにならないのですが、その外面的・形式的な特徴に引っ張られることが多いと思います。

私自身、もう資格とかどうでもいいやと思って、自分のHPから資格欄を削除しました(笑)。他人の職業や仕事も特に気になりません。やはり大事なのは、その方がどんな考えや思いを持って生きているかということや、心が美しいか、邪の心に染まっていないかということだと思うようになりました。同じことをするのでも、その方の考えや思いによって行動が変わってきますし、職業や何をするかということよりも、どんな思いでするのか、ということの方がよほど大事だろうということに気づきました。もちろん以前から気づいていたのですが、最近より強く認識を新たにした感じです。

結婚やパートナー選びにおいてもこの点はやはり非常に重要ですし、女性は多くの場合経済力のある人をパートナーに選びたいと考えます。それはこの世で生き抜くためには当たり前のことのように思いますが、それって条件付けの愛ですし、パートナーが給料の良い仕事を辞めたら愛せない、離婚、となるのであれば、結局のところ彼ではなく「経済力」を愛し結婚していたということにもなるのではないかと思います。男性の場合は若くて美しい女性と結婚したとしても、彼女が加齢とともに美しくなくなってくると、また若い女性と浮気・不倫してしまったりしますよね。結局彼女ではなく「若さ・美しさ」を愛していたということなのでしょう。もっと言えば、それは愛ではなく、「執着(エゴ)」であると言えると思います。

就職のミスマッチなどについても同じようなことが起きているように見えていて、社会的知名度や待遇、条件だけで仕事を選んでしまったりすると、自分に適性がなかったり、不本意な仕事をやらされた時に、ものすごく葛藤が起きると思います。やはり自分の気持ちに正直に生きられないと、相当苦しいものです。前々から書いているように「こんなことやっても相手のためにならない、お客様のためにならない」とか「こんな商品に魅力を感じないのに売らないといけない」ということになると、いくらお金はもらえても常に心は苦しいままで、精神的に病んでしまうと思います。社会的知名度や待遇といった外面的・形式的なもので仕事を選んでしまうと、その後その知名度や待遇に執着する苦しみもあります。企業側も学生や就労希望者の内面的なものを見ようとせず、学歴、条件やスキルなど外面的・形式的な特徴で人を見ています。どちらも表面的なものしか見ていないため、ミスマッチが起きるのは至極当然かと思います。

多くの人が他人を職業、資格、学歴などの肩書で判断するというものの見方しかできない以上、人々がそれを追い求めてしまうのは当然のように思います。現代の人々は「他人に評価されること」を何より優先して生きているように見えるし、それによって常に心は苦しいままで、満たされない思いを抱えて生きていかなければならなくなってしまっています。オフ会でも感じることですが、職業や肩書などの表面的なことではなく、お互いの深い部分をシェアできると本当に心が満たされていくのがわかります。一人一人が、その方の考えや思い、内面や心の美しさを見ることができるようになれば、多くの人が肩書や他人からの評価を求めなくなっていくのではないでしょうか。人の表面的な部分ばかりを見て不幸になるケースがあまりにも多いことに今さらながら危機感を覚えました。

5月27日(土)オフ会やります~→オフ会・イベント情報

note過去記事一覧はこちら

ホリスティックな健康をサポートするGreen Cosmoのページはこちら

「note見た」で友達申請→村上遥のFacebook

Twitter再開しました!→Twitter

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?