好きなことで生きていく=自分と向き合い続ける旅

昨日思いつきで好きなことで生きていきたい人の背中を押すマガジンというものを始めてみました。今までの記事をまとめただけですが。ここ数日の「奇跡のリンゴ」の木村さんから学んだ記事(「奇跡のリンゴ」木村さんの本を一気読みして涙した話二元論を捨て、「ありのままに観る」こと)を書き終えてから、信念を持って好きなこと、やりたいこと、夢に向かって生きていくということは、自分と向き合い続ける旅であるということが腑に落ちてきました。ある対象(例:無農薬でリンゴを作ること)と向き合うのはもちろんなのですが、結局は自分と向き合うことなんですよね。「必ずできる」と自分を信じ続けられるのか。それを試されるような出来事が日々起こるわけです。

イチローに学ぶ「続けること」の大切さの記事にも似たようなことを書いていますが、やはりすごいことを成し遂げる人というのは、必ず深く自分と向き合っていて、「できない」と言う悪魔のささやきと日々格闘し、もがきながらも自分を信じ続けた人だということを学びました。深く自分を見つめ直すことなしに、素晴らしい偉業を成し遂げることはできないのだということ。テクニックだけを学んで、一時的に何かを成し遂げた(月収○○万とかすごく有名になったとか)としても、一時的なもので終わってしまったり、その状況に甘んじて自分と向き合うことや価値を高め続けるのをやめてしまうことがあります。私はそうはなりたくないなと感じています。

日本人の多くの人は勤め人・雇われ人で、行き過ぎた資本主義において会社や組織のあり方、働き方に疲弊しているような感覚があります。そして「好きなことで生きていこう」というスローガン的なものがすごく流行っていて、私も含め「本当にその通りだ」と感じて組織を出る人もものすごく増えていますよね。一人一人が自分の本来の生き方に意識を向けて、そうしようと行動を移せるようになってきたのは、私個人としてはすごくいい傾向のように思っています。ただ、好きなことで生きていくにあたっては、どうしても自分と向き合う必要があり、様々な思い込みやブロック、自己否定の気持ち、たまりにたまった感情などに直面していくことは避けられません。

私も今その過程の中にいると思っていますし、一生その学びは続くと思っていますが、その思いこみやブロック、ネガティブな気持ちなどに向き合うのが辛くなると、「魔が差す」瞬間がある弱さを認めるの記事にも書いたように、その辛さから逃れようと、楽な道に進もうかなと思ってしまうこともあります。奇跡のリンゴの木村さんにしても、魔が差して農薬散布のリンゴ作りに戻れればどんなに楽かと何度も思ったはずです。諦めるのはいつでもできますが、続けるのは本当に難しいことです。私も今でこそこのnoteを書くのは習慣化していて苦痛ではありませんが、途中何度かくじけそうになりました。自分を信じて続けるのには、かなりの精神力が必要だと実感します。

「好きなことで生きていく」というのは、大変耳触りも良く、「みんなできたらそうしたいよ」と思うことです。なぜみんながみんなできないのかというと、やはり自分と向き合う恐れがあるからだと思います。好きなことにいざ本気で打ち込もうとなったときに、実力が露呈して周りに評価されることを恐れたり、打ち込んでうまくいかなかった時のショックが大きいので、それを感じるくらいなら勤め人でいた方がその現実に直面することがないと感じて、「お金のため」「時間がない」と言い訳をして、自分と向き合うことを避けているのではないでしょうか。

ここ数週間の私のnoteを読んでいただいている方はわかってくださると思いますが、自分と向き合っていく過程では、様々な自己否定や恨み、怒りなどの目を背けたい感情や、親との関わりで傷ついた経験や、その他もろもろ見たくないようなことに直面することが多くなります。その時は辛いなぁと感じるのですが、のど元過ぎて振り返るとすごく自分の意識が高まったような感覚が得られますし、意識がどんどん広がることを感じます。自分と向き合うほど、深い深い問題が浮上して、また一つ意識のステージが上がっていくような感覚です。

時につらい感覚を味わわなければならないこともありますが、今はそれすらも人生の醍醐味だと思えていますし、そのつらい感覚に対しても、一歩引いて面白がっている感覚すらあります。数日前まで「この世の終わり」、「絶望」「明日地球が滅べばいいのに(笑)」、というものすごい強い闇の部分が出てきていたのですが、それも必要な過程なのだなと思って深く味わっていました。「好きなことで生きていく」過程は楽なものではありません。自分と深く向き合う覚悟、どんな自己否定や深い闇も受け止められる覚悟ができていなければ、途中で挫折してしまうこともありうると感じます。それでも向き合い続けられるのは「思い」や「情熱」がすべての原動力に書いたとおり、強い「思い」や「情熱」があるからです。深い闇から抜け出し、「私は自分の人生を生きるのだ、好きなことで生きていくのだ」という決意を改めて再確認し、これからも「自分と向き合う旅」を続ける覚悟を決めました。

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