「気が利く人」ほど癒しが必要

ちょっとしたことに気づいて、声をかけてくれたり手伝ってくれたりする人、さりげなくみんなが心地よく過ごせるように動いてくれている人、いつも感謝の気持ちを忘れず、それを表現することを大切にしている人。私の周りにはそんな人がたくさんいて、本当にありがたいなぁと日々過ごしています。こういったいわゆる「気が利く人」「気配りができる人」「周囲を見渡せる人」というのは、みんなに好かれるし、素敵だなと思います。しかし「気が利く人」ほど、我慢を溜めやすかったり、ストレスを抱えやすかったり、知らず知らずのうちに心と身体が蝕まれていくこともあるのだろうなぁと最近思っています。

こういうやさしい配慮や気配りって、基本的に自分に余裕があるときでないとできないと思うんですよね。自分が超楽しくって豊かで満たされていてはじめて、見返りを求めずそういった行動が自然とできるようになるのではないかなと感じます。完璧主義だったり、自分に厳しかったり、「自分はこうあるべき」みたいなものが強い人ほど、そういう傾向がある気がします。空気を読みすぎる、いや、読めすぎるのかもしれません。また、自分がいろんなことに気づけるばっかりに、それをできない人に対して不満を持つということもあります。それは、愚痴るとかいうレベルではなく、潜在意識の中に溜め込まれるような、自分で感知できない領域です。気が利く人は「自分は愚痴るようであってはならない」みたいな規律も強く持っている場合があり、顕在化してこないことも多いわけです。それが、知らず知らずのうちに溜め込まれると、感情の抑圧により体調不良や病気のもとになることもあります。自分の本心に気づけない、本当は不満があるのにないフリをする、誰にも愚痴を言えない、みたいなことが往々にしてあると思います。

そういういわゆる「気が利く」タイプの人は、無理をしがちということもあります。「気が利く」と「気を遣う」というのは、ニュアンスは違いますが似たような性質がありますよね。「気が利く」人は「気を遣う」人であることが非常に多いです。周囲に気を遣って、自分が我慢すればいいや、とか思ったりして、自己犠牲の精神が強かったりします。みんながみんなそうではないですが、周囲の目を気にする、自己肯定感の低い人であることもあります。

私も以前はそういう傾向が強く、不満を言ってはいけないという気持ちが非常にありましたし、周囲の目を気にすることが多かったです。少しは吹っ切れてきた今もやっぱり気にします。これはおそらく幼少期からの親子関係が影響しているのでしょうね。親に劣等感を植え付けられたり、完璧でないとほめられなかったり、他の人と比べられたり…親の顔色をうかがって生きてきた人がかなり多いのではないでしょうか。思い返すと私もそういう部分はあったかもと思います。なるべく怒られないように、悪いことをしないように生きてきました(別に怒られることをあえてする必要がなかったからとも言える)。今までの人生でこっぴどく怒られたことって、思い出せる範囲では一度もありません。怒られることに対して非常に恐怖心があったのだと思います。親にどう思われるかを軸にベースの人生を歩んできたわけですから、自己肯定感も低いし、自分の人生を自分で創造できる感覚は希薄になりますよね。それで、過剰に気を遣う、私の人格が形成されたものと思われます。

「気が利く人」は、癒されたい人だと思います。職種的には一般の仕事の他、セラピストやヒーラー、看護系、福祉系にも多そうです。自分の中の不満の感情に気づけなかったり、言いたいことが言えなかったり、いわゆる「いい人」と思われているような人は、まず、自分を癒していくことが大切だと思います。過剰にいい人ぶらず、自分の感情に気づく練習をする、そして言いたいことは少しずつ言って発散していく。創造力を養うことで風邪予防の記事にも書いたとおり、言いたいことを言えないでいると、のどのチャクラがブロックされて不調になります。身体のコリ、肩こり・腰痛についても、抑圧した感情が痛みとなって現れたものだったりします。痛みは「炎症」、熱を持っている。つまり怒りです。気が利くあなたはしょっちゅう身体が凝って、マッサージに行っているかもしれません。幼少期のトラウマ解放(インナーチャイルドセラピー)には、ヒプノセラピー(催眠療法)やフラワーエッセンスなども有効です。気を遣いすぎて疲れてしまう人の気持ちは痛いほどわかります。私自身も様々な療法を試して、解放して癒して、だいぶ楽になりました。同じようなことで悩み苦しんでいる方のお役に立てるよう、これからの仕事を模索していこうと思っています。

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