「ない」と「見ないようにしている」は大違い

先日私の中の非常にブラックな、闇の部分がクローズアップされるという出来事がありました。普段は「一人一人が我慢しないで光り輝く人生を送ってほしい」と本気で思っているし、ベースはそこなのですが、その時は「人類なんて滅べばいいのに…」と家で一人でつぶやくという(笑)、対極にいる自分を垣間見たんですね。そういう自分もいるということはわかっていたのですが、どうしても見ないようにする時もあるようで、自分の顕在意識に浮上しないことが多いんですよね。

公務員として働いていた時のことを思い出しても、2014年に体調を崩すまでは辞めようと思ったこともありませんでしたし、人間関係も問題なかったので「いつも楽しく働けているなぁ」と思っていました。しかしながら、やはりどこかで無理していたのか、心身を壊してしまうことになってしまいました。なんというか、たぶんいい人ぶりたいところがあって、「私にはそんな愚痴っぽい性質やダークな一面なんてないもん」という意識が強かったのだと思います。中身は当時から変わっていないので、その時からこのnoteに書いているような、社会の本質的な問題みたいなものには気づいていた部分もありましたね。それでも「見ないようにしていた」し、私の中にある不満や愚痴っぽいところについても「ない」ものと扱っていたということです。心身の不調になってようやく「それは確かにあった」ということに気づいたんです。

「うちの会社本当に最悪で…」と他人に言える人はまだ正常なのかもしれません。だって組織に勤めていたら絶対に「これはおかしい」「うまく回っていない」と思うシチュエーションはありますからね。「不満は何一つありません」という方が怪しい。誰彼かまわず愚痴るのも良くないと思いますが、あるものにふたをして「見ないようにする」というのも実はコワいです。そうやって我慢して、抑圧された感情が肩こり、腰痛などの痛みとなって現れたり、臓器に溜まって病気となって発症してしまうことが多いからです。これは本当の話。

会社への不満とかってあっても「ない」と思いたいことって往々にしてあると思います。いい人ぶろうとすると、あるのに「ない」と言い聞かせてしまって、自分の本心に気づけなくなったりします。そうしているうちに、自分が本当はどうしたいのかもわからなくなったり、感情もなくなっていってしまいます。人は誰しも「いい人」「光の面」だけでは生きられず、「冷酷な自分」「闇の面」などの二面性を必ず持っています。対人関係でどの部分をどう出すか、自分で自分を本当に内観して闇の部分を見つめられるか、それはその人次第です。闇の部分があるのは当たり前なのだから、過度に「いい人」「光の人」であろうとせず、裏の自分の一面も認めて「統合」してゆくこと。それが大切だと思います。私自身はいい人ぶりたい傾向が強いので、感情に素直に気づく練習をこれからもしていかなければならないと感じています。「光」と「闇」を「統合」し、どんな自分でもOK!と自分を認めていくこと。二元性の統合をテーマにこれからも内観を続けていこうと思います。

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