テクノロジーの発達と「識別力」「倫理観」

先日、日曜日に行った読者様との対談感想記事の続きになります。(前回の内容についてはスカイプ対談&自分を知ることの大切さの記事をご覧ください。)対談相手のAさんはIT、テクノロジーの分野と英語に長けた方でしたので、必然的にそういった話題が多くなりました。私自身も以前からAIやネット系の記事を書いたりしており、ITやテクノロジーの発達と社会構造の在り方の変化には常に注目しています。Aさんも私も、テクノロジーの発達とそれを活用した共同創造のコミュニティ構築の事例や思想に関心が高く、お互いに情報交換をして盛り上がりました。

私たち人類の歴史はテクノロジーや技術の発達と社会構造の変化…という繰り返しと言っても過言ではないのかもしれません。私が生まれたこのたった30年くらいの間でも、インターネットの発達やケータイ、スマホの普及など、目まぐるしいほどの変化がありました。これからはAI、ロボット、ブロックチェーン、IoTなど、インターネットやスマホの一歩先をゆくさらなる技術革新が予想されています。社会のあり方が変わるのは、人々の意識の変化という目に見えない部分の側面が大きいですが、物理的側面でのテクノロジーや技術の進歩というのも直接的に社会を変えていく大きな要素となっているのは誰の目にも明らかです。

先日の対談の中で、「識別」「リテラシー」という言葉がよく出てきました。これだけ情報が氾濫している世の中において、良質な情報にアクセスできるかどうかというのはその人の人生に致命的な影響を与えると感じており、いかに情報を「識別」して「リテラシー」を高めるかというのは、多くの人にとって重要な課題のように思います。触れる情報の質が人生の質にも直結してくるような、そんな時代であり、テレビや新聞の情報、政府の言うことを信じて生きているといつまでも自分の人生を歩めず、洗脳・搾取され、普通にしているだけで健康を害するような生活をせざるを得なくなってきます。情報だけでなく、あらゆるモノ、人、思想などについて、嘘と本物を見極める力、本質的なものの見方を養うことは、自分の人生を生き抜くにあたっての必須スキルとなってくると思います。

もう一つ懸念していることとして挙がったのが、技術革新と倫理的な議論の兼ね合いについてでした。少し前だと脳死や体外受精などの生命倫理のこともそうですし、自動運転技術が発達し、自律型自動車(IoTとブロックチェーンの合わせ技で、自分でガソリン入れたり保険に入ったりできたりするかも)のようなものが登場した場合の責任の所在、自分と見目形がそっくりなアンドロイドを自分で遠隔操作した場合の「その人感」の境界線など、技術が発達したからこそ議論しなければならない倫理的観点が多数発生してきています。「身体とは?人間とは?」の哲学の時代という記事にも書いたことがありますが、技術革新というバリバリ理系な話題の中に、哲学・思想・倫理というバリバリ精神性・内的世界の問題が生じるというのは、その両極端っぷりが逆説的で本当に面白いなと感じています。技術的なことはわからなくても、倫理的な問題に関する個人の意見というのは誰しもが持っていて議論に参加できるというのも、人々の興味をかきたてる理由なのかなと思ったりします。

前回の記事に教育のことも書いたのですが、知的な楽しみというのはただ知識を得て自分のスキルを上げるといったことのみならず、自分の意見を言ったり、自分とは違う人の意見を聞いて考えを改めたり新たな知見を得たりといった、人と人との交流の中にあるのかもしれないと思うようになりました。その本質には「自分を知りたい」という根源的な欲求があり、他人とのかかわりの中でこそ、より深く自分を知ることができ、そして、その中で自己肯定感や満足感を高めることができるということなのではないでしょうか。意見交換、考えのシェアというのは、私たちが思っている以上に意識をダイナミックに変えていく力があると感じます。また、テクノロジーの発達に伴う倫理的な論点というのは無限にありますが、そういった話題に対する自分の考えや意見を持つことや他人と意見交換することは、知的な楽しみをくすぐるだけでなく、社会全体にとっても有意義なことだと思います。テクノロジーの発達に伴い、知的な識別力を高め、一人一人が倫理的な問題に向き合っていくということがますます重要になってくるのだろうなと感じた対談でした。

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