何年くらいのスパンでものを見ているか?

私は以前から、「早く」と「もっと」というエゴの暴走が私たちの判断を狂わせ、苦しめるものだと書いてきました(迷走の原因は「早く」と「もっと」の記事など参照)。先日の数値化できない「意識」の変化こそ最重要という記事にも、本当に世の中を大きく変えるには時間がかかること、その人が生きている間に成し遂げられなかったからと言って活動が無意味なわけではないことなどを書いています。私たちはどうしても近視眼的になりがちで、今すぐ結果を出したいとか、とにかく早く何とかしようと思ってしまったりするものです。

私にもかなりその傾向がありましたし、そう思ってしまう気持ちはよくわかります。だからこそ自分を励ますために、「コツコツ積み重ねるしかないんだ」、といったような記事をたくさん書いてきました。そうしたことを繰り返してきたからか、今はあまり焦りというものも感じず、お金になるかとか仕事になるかとかも考えず、やりたいことや興味のあることをとにかくやっていってみようと思っています。何年かそうしたことを続けていった先に、何か見えるものがあるんじゃないかなと漠然と感じています。

以前に10年間続けたいことって何だろう?という記事を書いたことがありました。私は今、「10年」というスパンでものを見てみよう、という気持ちにすごくなっています。世の中にはいろんな考え方があって、少し学んだらすぐに教えたりアウトプットするのが良いんだ、サービスをとりあえず始めてみるのが良いんだ、といったアドバイスをする方も多くいらっしゃるように思いますし、学ぶ暇があったら手を動かせという人もいます。私は割とそれとは反対の意見で、しっかり学んだり技術をつけたりすることが何より大事だろうという気持ちが強いです。特にスピリチュアル系のことに関しては、かなりアヤシイ(闇側のものがほとんど)ものが多いということがわかってきたので、非常に慎重になっています。自分の浅はかな知識や経験でワークやセッションをしてとんでもないことになってはまずいので、本物とニセモノの区別がつかない素人には近づかない方が良い領域だなと感じています。自分が分別のつけられる人間になるまでは、しっかり時間を取って修練したいところです。

この辺りは本当に人によると思うので一概には言えません。私の興味のあることが、人の心や生き方に関すること、哲学・思想・宗教や宇宙に関することなど、一生かけても答えが出なさそうな領域だったからそう思う部分もあるかもしれません。ただ知識を教えるだけ…とかであればそんなに時間がかからずともできることもあるかもしれません。にしても最近は、何かを教えたり、本を出したりすることへのハードルがものすごく下がっているように感じていて、簡単にできるからこそ(大量生産)の品質低下が目立っているように思います。中身のなさそうな人ほど高額で、大御所ほど良心的な価格設定ということも多いように感じます。中身がないけど高額、というサービスや商品が長続きするはずはありません。とにかく10年は同じ分野の勉強をしたり技術を磨いたりするのが苦でないようなものを見つけられるといいのかなと思いますね。

私も興味のある分野の勉強を始めてまだ数年ですし、この先10年というスパンで考えてみれば、今はまだたくさん知識や経験を積むインプットの時期だなと感じます。そして日々自分の無知さ、愚かさ、未熟さと向き合いながら、幅広くいろんなことを学び、ご縁のある方とお話したり、家族や友人と親しくする中でさらに人格を磨いていきたいと思っています。人格を磨くというのは、心の美しさや清らかさを高めていくということであり、エゴからハートで生きられるようになるという意味です。知識・経験にしても、人格を磨くことにしても、やはり時間と労力がかなり必要なものなので、急激な変化やすぐに結果を出すことを求めず、これからも一歩一歩着実に進んでいこうと思います。

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