何をするでも「誰と」「誰に」が最重要

8月も今日が最終日。今月は結婚・出産や男女関係について綴ることが多かったですが、私自身「誰と」の重要性をひしひしと噛みしめています。以前に結婚したいのか、好きな人と一緒にいたいのかという記事を書いたこともありますが、絶対的に重要で譲れないのは「誰と」の部分であり、焦って結婚したり世間体で結婚したり表面的な条件で結婚しても幸せにはなれないだろうなとつくづく思います。「結婚」という行為そのものに価値があるわけでもないし、結婚していないからどうこう、ということもありません。何か感じることがあるとすれば、ただただ自分の中の固定概念の問題です。

結婚に限らず、どんなことであっても「誰」というのは本当に重要だと感じます。何かをするにしても、誰と一緒に取り組むかによって、その内容や感じる充実感や感情がまるっきり変わってきます。また、何かを習うにしても、誰に習うかというのは非常に重要ですし、同じパッケージを教えているように見えても、その先生の人柄や内容の充実度、どのレベルまで理解しているのかというのは本当に人それぞれです。フランチャイズ化の注意点は、やはり教える人によってクオリティにばらつきが出てしまったりすることで、イマイチな人を採用してしまうとその看板の価値を下げることにもつながりますからね。習う内容はさておき、とにかく「誰」に習うか、「誰」を師とするかというのは、その後を左右する最重要要素だなと感じています。

学生時代に知った英語のことわざ “A man is known by the company he keeps.“(付き合う仲間を見れば、その人の人柄がわかる、といった意味)を思い出します。私自身はいろんな人と親しくして、幅広い交友関係を持ちたいという気持ちはあまりなく、合わない人と一緒にいてもつまらないし悪影響だから、自分が心地よくいられる人間関係だけを築きたいという気持ちが強いです。幅広く交友関係を持とうとしても、どうしても最終的には自分と合う人、共鳴する人としか関係が続かないものだと思います。もし、周りに金儲けの話ばかりする人がいるとか、嘘つきばかりとか、自分のことしか考えていない人ばかり、ということであれば、自分自身もそういう人だということですし、自分を変えていくことなしに周囲の付き合う人が変わることもないでしょう。素晴らしい人と一緒にいたかったら、自分がそんな素晴らしい人に近づいていくしかないということになります。

夫婦関係や男女関係において不仲になってしまい、相手の嫌なところばかりが目につく…ということであれば、やはりその人自身も同類でそれなりの人だということを認めないと何も変わらないし、相手を責めて変えようとしても逆効果で、自分自身を見つめて磨いていくしかないんですよね。イマイチな講師にふっかけられた、だまされた、ということであれば、そんな人を選んでしまった自分に問題があったと考えるのが次への道になると思います。アラサーの微妙な人間関係という記事にも少し書きましたが、ライフスタイルや価値観、意識の変化により、合わなくなってくる人が出てくることも多々あります。それでも、その変化に応じた合う人はまた出てくるし、「誰」という個人にこだわり固執する必要はないですよね。「誰」と一緒にいるか、やるか、習うか…といったことは、人生の最重要要素と言えると思いますが、その「誰」という個人にこだわることはなく、自分の意識に応じて合う人が現れるので、やはり自分の内面を見つめて磨いていくのはとても大事だな、というのが結論です。「結婚」すること、「何か」をすること、「何か」を習うことの方に重きが置かれることもありますが、最重要なのは「誰と」「誰に」であると、深く心に刻んでいきたいと思います。

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