有無を言わせぬ「女性の社会進出論」への疑問

昨日の待機児童問題の記事(「待機児童対策」最前線にいた私が感じる限界感)に引き続き、社会派の内容です。私が常日頃疑問に思っていたこととして、「女性の社会進出」の話があります。昨日もヤフーニュースに苦慮する企業の話が載っていましたが、行政が推進する女性の社会進出の数値目標などありますが、それってあえて推進することなのか?といつも思っていました。

例にもれず私の働いていた自治体でも女性管理職の割合目標などがありました。年頃の女性を対象とした、先輩女性管理職の話を聞こうみたいな研修もたびたび開催されていましたね。大企業やその他民間企業も同じような状況なのではないかと思います。

男性、女性問わずいろんな考えの方、多様な生き方や働き方があって良いはずで、仕事はほどほどで家庭を大切にしたい方もいるだろうし、バリバリ働きたい方もいらっしゃるでしょう。そういった各々の希望に沿った働き方を「選択できる」ことが一番大切なのであって、行政の数値目標のためになりたくもないのに管理職になることを半分強要されるようなことは、ちょっと違うなと思ったりもします。女性でバリバリ働きたい方が、いわゆる古い体質の男性社会にいて、報われない、悔しい思いをしているということもあるかもしれないので、そういった方が真に活躍できる環境であると良いとは思いますけどね。しかし、そんな男性社会で男性と肩を並べてなんとか上の方まで行ったとしても、苦労するのは目に見えているので、そんな古い体質の組織はさっさと辞めてその方が本気で能力を発揮できるところへ離れていった方が賢明だとは思いますが。

女性は20代後半から30代くらいにかけては、結婚や出産がありますから、管理職と子育ての両立というのはなかなかハードルが高いです。ヒラ社員と子育ての両立だって大変なのに、管理職というのはかなりきついと思います。であれば、その世代の女性には管理職という職よりも、リモートワークで在宅で仕事ができることであるとか、8時間勤務のところ、幼稚園のある10時から14時までの勤務にしてもらえるとか、そういったことの方が本当の意味での「一億総活躍」社会につながることだと思いますし、何より働くお母さんへの助けになると思います。「女性の社会進出」というと聞こえはいいですが、管理職になるとか正社員でいられるとかそういうことよりも、子育て中も安心して働ける、多様な働き方を選択できることこそが一番大切なんですよね。

そもそもこの取組は「ダイバーシティ」の一部ととらえられている、つまりは「多様性」ですよね。「ダイバーシティ」というと女性の社会進出の話ばかりが話題に上がることが多いですが、そもそもが「多様性」という意味。であれば、小さいお子さんがいる男性の働き方の見直しであるとか、副業を認めるとか、アート、音楽系のたまごの人を積極的に採るとか、アイディアは無限にあると思うんですね。今の日本社会において、「正社員」・「非正規」の二択に始まり、「8時間フルタイム」・「パート短時間」さらには「月何十何百時間の残業」というオプション付き。給料少なくていいから「週4・6時間勤務がいい」というのは正社員では基本無理ですよね。そんなことに疑問すら感じない世の中なのですが、もう少しフレキシブルな選択肢があっても良いと思います。

一方的な「女性の社会進出、管理職登用」の押しつけは、一見いいことを言っている風に見えるから余計たちが悪いと思っています。「それは良いことである」という思考停止に誘導しているとすら思います。私はこの世の闇を知ってから、「女性の社会進出論」というのは出生率低下のための施策ではないかとも思うようになりましたし、「思考停止に良いと思わせる」という支配者側の戦略がばっちり効いていると思うんですよね。この辺りはある程度陰謀論的な側面でこの世を把握していないとわからないとは思いますが。「政府はいつも国民のためを思って政策を実施している」と思っている人にとってはちんぷんかんぷんかもしれません。

いつの間にかこの世の闇の話になってしまいました。本当に私たち庶民が望むことは「多様な働き方を選択できること」のはずなのに、「女性の社会進出、管理職登用」ばかりにフォーカスされている現状。それには裏の思惑が見え隠れしています。バリバリ働きたい人にはチャンスを、子育てや家庭を優先したい人にはリモートワークや短時間勤務を、夢を追いながら仕事をしたい人には融通をきかせられる、それができてこその「一億総活躍社会」です。凝り固まった固定概念をばっさり捨てて、一度フラットな視点で「働き方」について考えてみると新しい発見があるかもしれませんね。

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