進んで身銭を切れる人はカッコイイ

先週のスカイプ対談でも少し話題に上がったことの一つに、グローバル化と経済格差、フェアトレード問題などがありました。世界の貧困や奴隷労働、食糧難など、目を背けたくなるようなことが世界中では起こっていて、私たち先進国の豊かな生活は大多数の貧困層の人々によって支えられているという事実があります。私たちが豊かに暮らしているということは、それだけで多くの犠牲を伴うものであり、私たちが支配層に感じる感情を発展途上国の人は先進国の人間に感じているといった、相似形の構造があるのではないかと感じます。

私たち先進国の人間も、格差社会や貧困など社会問題になっていますが、とはいえ日本には生活保護もあるわけで、飢え死にすることはありません。戦時中ではないので、常に命の危険にさらされるということもありません。発展途上国の本当に貧しい国や地域に比べれば、日本の最低限の生活であっても十分豊かであるという現実があります。そういった事実を直視して腑に落としつつある昨今、「もう自分は贅沢しなくてもいい、質素な生活でいいや」と思うようになり、ものの見方が変わってきたなぁと感じます。

スピリチュアル系の成功法則などではよく「いくらでも豊かになって良い」的なことが言われています。私はこれは悪魔的思想だなと感じていて、個人の欲望や夢のために大金を持つのは推奨されることではないと思うようになりました。お金を稼ぐのは良いですが、そのお金をどのように使うのかが非常に大切で、個人で豊かになって成金自慢をするためにお金を使う(そしてその取り巻きをカモにする)というのは悪そのものではないかと感じています。個人レベルでなくとも、組織のトップの一部だけが異常に高い報酬を得て、下の現場で働く人の給料は雀の涙…という状況も悪と言えると思います。「自分さえよければいい」、こんなエゴの意識が肥大して、お金持ちを成功者として崇拝するような社会は本当におかしいです。

今の社会はお金を崇拝する「お金教」なので、何よりもお金に価値が置かれています。だからこそ、進んで身銭を切れる人はカッコイイなとつくづく感じています。経営者の方でも、ものをよくわかっている方であれば、自分の報酬は少なめにして社員に還元しようとするでしょうし、一般の方でも誰にも内緒で慈善事業に募金したりしている方もたくさんいらっしゃることと思います。自分の生活は質素でいいから、世の中のためにお金を使おうとする人は尊敬するし、私もそんな人になりたいです。「日本人は自己犠牲的で、清貧を良しとする」とよく言われますが、それは直すことではなくて、素晴らしい美徳なのではないかと思うようになりました。

有名なチャリティーの番組がありますが、芸能人に多額のギャラが支払われていることなどに批判の声が集まっていると聞いたことがあります。その批判はもっともだと思っていて、その時間の番組を休止して莫大な制作費とギャラを募金した方が本質的に良いのではないかと私も思います(笑)。経営者にしても、きれいごとを並べることは簡単で誰でもできますが、本当にカッコイイ人というのは身銭を切って社員に還元できる人だと思います。「自分だけが豊かであることに罪悪感を感じる」、本来はそれくらいが真っ当な感覚なのではないでしょうか。世の中本当に素晴らしい人は、たくさんの財を築きあげた人でもセレブ生活をしている人でもなく、弱い人を助ける気持ちを持ち、自分は質素でもいいから他人のためにと身銭を切れる人なのではないかと思います。金持ちセレブに憧れるのではなく、本当にカッコイイ生き方をしている人を持ち上げ、世の中全体をそういう生き方を目指すような思想、意識に変えていく必要があるのではないでしょうか。

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