「他人の目を気にする」壁を越えていく

わかってはいるけどなかなかできないこと、「他人の目を気にしない」こと。これもスピ系とか好きなことをやっていこうと訴えている人が良く言うのですが、「言うは易し行うは難し」と思うことの一つです。日本人は特に他人の目を気にする人が多い国民性があると思うので、難しいと感じる人が多いのではないでしょうか。おそらくどなたも今までの人生で数人は、「この人他人の目とか気にしないんだな」と思う人に出会ってきたかと思いますが、やはり少数派ですし、そういう方は人間関係に支障をきたしがちだったりしますよね。

私自身、年度途中に公務員を辞めた時点で、だいぶ「他人の目を気にしない」行動をしてたなーと思うのですが、そんなこともあって徐々に気にしなくなってきたと感じることもあるけれど、やっぱり気にしてるな、と思うことも多いです。他人の目を気にする度合いが減ることはあっても、0にはならない、というのが今の私の結論です。他人の目を気にして、遠慮して何かを我慢する必要はないと思うのですが、他人の目を全く無視して変なことをして人間関係に支障をきたすのもやっぱり避けたいなと思います。というか、そこまでのことはしてもいいと言われても、私にはできません。最低限のマナーは守りたいし、確実に人に不快感を与えるようなことはしたくないですからね。

他人の「目」にもいろいろありますが、基本は「どう思われるだろう」、とか「嫌われるんじゃないか」とかそういった類ですよね。日本人は特に同調圧力と横並び意識が強いので、ちょっと他人と違う行動をすると、仲間外れやいじめに遭うとか、悪口を言われて、妬まれたり、恨まれたりすることもあります。そんな無言の雰囲気を察知して、自分を押さえてできるだけ目立たないように、「他の人と同じである」ことを目標に生きるというのが多くの日本人の姿であり、国民総うつ社会の原因の一つでもあります。まずはこれをいかに振り切れるかが第一の壁という気がします。

今の私はそこの壁は越えた感じがするのですが、この世の中に「私」という個人を出していこうというときには、第二の「目」の壁があって、それは他人の「目=評価」を気にするということです。まぁ日常生活でも気にすることはありますが、個人で一人でやっていこうというときは特に気にするものだなぁと実感しています。組織の中にいれば、「個人」として世に出ていくとか、「個人」として対外的に評価されるということが基本はないので、組織内での評価を気にするものでしょう。個人でやっていくとなると、社会全体に評価される感覚があり、想定される「私を評価するだろう人」が無限に広がります。何の業界であろうとこれは同じだと思うのですが、個人でやることは何も言い訳ができないので、かなりシビアな世界ですね。組織で疲弊して好きなことをやりたいと思っていても、独立してやっていこうという気にはなれない人がいるとしたら、周囲からの評価により自分が傷つくことを恐れているということは大いにあるでしょうね。今の私にもそういうところは大いにあります。

自分がいまだサービスを始めていない理由はたぶんそこなのです。イマイチと思われたら嫌だな、とか、値段の割に大したことないと思われるかな、とか色々頭で考えてしまいます。これを乗り越えるためには、技術や知識、経験を積むことももちろん大事なのですが、やはりよく内観して、自分の中にある否定的な思い込みに気づいたり、「過去こうだったからこうなるだろう」というパターンを手放す必要があると感じます。世に出たいと思いながら、評価されるのが恐いという自分がいることに気づきました。どんな評価を受けようとも自分のしていることに完全に自信と誇りを持てるようになれば、傷つくことはないと思うのです。今の私は、まだ「傷つくかもしれない」、と思っています。ここをもう少し深く内観して、さらに自信を深め、私の能力を最大限発揮できるサービスを始める準備をしていこうと思います。

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